昨日のアメトーーク、高校野球大好き芸人が泣けた。
ふとテレビをつけたら、アメトーークが放送されてた。
高校時代、野球部には女子マネージャーがいて、雑用は彼女たちがこなしていた。彼らは県大会ベスト4レベルで、そこそこ強かったけど、強豪校というわけではなかった。
一方、僕が所属していた陸上部は、3年連続県大会総合優勝、2年生時には東北大会総合優勝、インターハイも常連校だった。けれど、女子マネージャーはいなかったし、生徒の誰も応援には来なかった。駅伝大会は悲惨で、走り終わった選手がタスキを渡した選手のジャージやら何やらを回収して回る。水分補給する暇もなかった。
そんな高校の扱いの差別に嫉妬して、高校野球はずっと嫌いだった。
守備に入ったのは、矢野選手。地方大会から含めて、甲子園では一度も出番がなかった。
守備についた瞬間、熊本工業の大きなフライがライトに飛んでいく。誰もが逆転負けを覚悟したそのフライの落下点に矢野選手は入る。キャッチした瞬間、ホームへ投げる。
三塁にいたランナーは懸命にホームに向かって走る。ボールは外野深くまで飛んだ。多くの人は熊本工業のサヨナラの犠牲フライを信じた。
ところが、矢野選手の放ったボールはキャッチャーに吸い込まれるように、寸分の差もなく収まった。俊足のランナーはまさかのタッチアウト。
奇跡と呼ぶにふさわしいバックホームだった。
実は、あのバックホームは暴投だったらしい。彼には暴投癖があった。無我夢中で投げたボールが大きな弧を描いた瞬間、矢野選手はやってしまった、と思ったらしい。だが、その日、スタンドからホームへ強い風が吹いていた。上に上がりすぎたボールは追い風に抑えられる。その結果、ボールはキャッチャーミットに吸い込まれたのだった。
その直後、矢野選手は甲子園で初めての打席に立つ。彼は二塁打を放ち、決勝点のホームを踏んだ。
このエピソードが好きで、高校野球が好きになった。スーパースターではない選手がスーパースターになるには、一つだけ条件がある、と言っているようだ。それは、懸命であること。
昨日のアメトーークで、どこの高校か忘れたけど、三木選手という名伝令の子がいたらしい。いわゆる、ムードメーカーで、補欠のポジションになるんだろう。
彼は甲子園で代打に出た時、タイムリーを打った。
それでスタンドが湧いた。それを見た瞬間、彼のお母さんは、号泣して拍手してくれた人全員にビールをご馳走したい、と言ったらしい。
なんか、それがもう、見てられなかった。もしかしたら、その一打のためだけに3年間練習してきたのかもしれない。それが、平凡な人間の当たり前の姿勢だ。きっと、それでも彼は野球が好きだったんだろうなあ。
それなのに、横浜高校のキャッチャーだった上地は、お母さんお金持ちなの?とか言っちゃいやがって。エリートなんだな、彼は。
アウシュビッツを生き抜いた精神科医として有名な、ヴィクトール・フランクルは、『死と愛』の中でこんなことを書いていた。
もし人生が不幸であったとしても、その人の人生には必ず輝ける一瞬があり、その一瞬のためにその人は幸福な人生と感じられるはずだ、と。確かこんな風なこと。
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愛読書の『BONE TO RUN』では、一番最後にゴールした選手は誰よりも長い間、苦痛と疲労を戦い抜いた、最強のランナーだ、と、たいしかこんな風のことを書いていた。
BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”
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