本のこと、はしること、山形県のこと。

本と本屋さんのことを中心に書こうと思ってます。走るのが好きです。山形県出身です。内容をちょっとづつ調整していってます。

太陽と星空のサーカスと『星の王子さま』

息子が保育園で最後の運動会を終えた。最後の運動会だった。担任の先生に金メダルを貰った。彼はそれを一日中つけていた。昼ごはんを食べている時も、トランプをしている時も、絵を描いている時も、夜ごはんを食べている時も。
あまりにつけているので、ごはんを食べてる時くらい、外しなさい、と言った。彼は悲しげに、でも、金メダルはね、すごいキラキラ光ってて、僕が運動会でちゃんとできたからなんだよ、と言った。

本物の金ではないし、プラスチックに金の塗装をしただけのメダルが、彼が言うほどキラキラと光っているわけではない。味噌汁で汚れてもいいし、ソースが引っかかっても誰も気にしない。
いいから、外しなさい、と僕は言った。
彼は、嫌々、外した。

「パパは大人みたいだね」
と彼は言った。

金メダルのキラキラと輝く光が見えなくなったのは、いつからだろう。


「本当に大切なものは目に見えないもの」なんだよ、と彼は保育園で誰かから聞いてきた話をする。
画用紙に描かれた、ススキと鳥と紫陽花の絵を彼は説明する。僕は大人で、彼は子供で、僕が知らないことを彼は知っている。


紫陽花の花とススキが彼は好きで、どんぐりやまつぼっくりも大好きだ。
よく行く公園は、それほど人が多くない。その分、整備の手もそれほど入らない。枯れた紫陽花の花や、育ちすぎたススキの花はそのままになっている。どんぐりは、あたり一面に落ちていて、まつぼっくりは、どんぐりの所々にボコボコと落ちている。
その公園で彼はどんぐりやまつぼっくり、紫陽花やススキを拾う。
そして、特別に綺麗なものであるかのように、大切にポケットにしまい、家に持ち帰る。

洗濯をしている妻が、彼のポケットからそれらのものを見つけ、叱る。こんなの拾ってこないで、と。洗濯機は葉っぱでめちゃくちゃになり、持ち帰ったどんぐりからは虫が湧いた。
彼は、「お母さんは、大人みたいな言い方をするんだね」と言って泣いた。

彼は、どんぐりの中に虫が住んでいることや、葉っぱを洗濯したら洗濯機の中が葉っぱだらけになることを知っていた。知ってて、彼はやった。
だって、どんぐりの中の虫が孵って蛹になり、蝶々が生まれたら素敵だから。葉っぱだらけになった洗濯機は、まるで洞穴みたいでかっこいいから。

それで、彼はどんぐりや葉っぱをべランドから捨てた。


日曜日、大人になった僕と妻は、子供のままの息子を連れて、たまプラーザ駅へ行った。妻は、たくさん持っている洋服をまた、買い物に出かけた。いつも同じ服を買ってるよね、と息子は言った。妻は、大人みたいな言い方するのね、と息子に言った。

僕らは、BOOK TRUCKという移動本屋さんへ行った。店主とは顔見知りで、息子はよく遊んでもらう。
トラックに詰められた本を見ながら、僕は店主に、売上はどうですか、と聞く。そして、どんな子供たちがやってきて、どんなことが起きて、どんな大人たちがやってきて、どんな話をしたのか、何も聞かない。
僕は、店主の答えに満足して、良かったですね、という。ちょうど太陽の陽射しが強く照っていて、日陰になるところがないときだった。

息子は、この本読んで、と言った。
店主は、この本面白いよ、と教えてくれた。僕は、暑くて、文字量の少ない絵本を手にとって、椅子に腰掛ける。さあ、これを読もう、と。

けれど、息子は卵の本が読みたかった。卵には、蝶々が眠っているから、蝶々の卵の本が読みたい、と言った。
文字量が多かったけど、妻の買い物が終わりそうにないので、読むことにした。


妻が戻ってきたので、蝶々の卵の本と動物の手足の本を二冊買った。2冊で1,000円だった。BOOK TRUCKで本を読み、店主に遊んでもらい過ごしていた。息子は楽しそうに、絵本を抱え、店主に手を振った。

その日、太陽と星空のサーカス、というマルシェのようなものが来ていた。小さなテントでは、ショートフィルムを流していた。3人でそのテントに入り、ショートフィルムを見た。
一番星のネズミが星空を放つ映画だった。

テントから出ると、一人の男性が魔法を見せていた。息子は見に行った。魔法を使う男性が周囲に話しかける言葉に全て答えている。最前列に座る子供達は、興奮して前のめりになっていた。大人たちは、後方で腕を組みながら、微笑みを浮かべて、見守っていた。

僕は、魔法に仕掛けがあると知っていた。それがなにかは知らないけど、ユリゲラーみたいな得体の知れない能力ではなくて、説明されたらなるほどと思うトリックがあると知っていた。
息子は、魔法が何かを知っていた。魔法は見ている人を驚かせ、楽しい気分にさせるものだと知っていた。
彼らは喜び、興奮して、大声をあげた。


僕は、大蛇が象に食べられた絵を見たことがある。それは帽子みたいで、それが帽子じゃないと納得するには、その絵を説明してもらわないといけなかった。
多くの人は、僕と同じくそれを帽子だと言った。絵を描いた人は、それが理由で絵を描くことをやめてしまったらしい。

僕の生まれた場所には、小さな山が四方を囲んでいた。山は火山ではなかったから噴火する心配はなかった。
花は無数に咲いていた。あまりに無数に咲いていたから、花の声に耳を傾けたことはなかった。黄色い花も、赤い花も、僕はそれらを花、としか呼ばなかった。

夕暮れは1日に1回しか見れない。どんなに早い車に乗っても、大きな山を越えなければならないから、どうしたって、夕日を追うことはできない。地球は大きいし。

その代わり、星空をいつまでも眺めることができる。周囲には光がなくて、星がたくさん見える。星が光っている理由は分からないけど、大好きな女の子と一緒に地面で寝転んで見ているのは、とても心地の良いものだった。

息子が生まれた場所には、山がない。街灯が多くて、星は見えない。太陽が沈むと、街灯は灯り、太陽が昇ると街灯は消えた。
テレビをつけると、うぬぼれ屋や王様たちがよく言い争いをしている。
父親の僕は、お酒を飲んで帰ってくる。時には、息子が遊びたいと思っている時にお酒を飲みに行く。

息子には小さなどんぐりがある。秋口に拾ったどんぐりで、芽が生えてこない。彼はそれを植木鉢にそっと置いて、毎日見ている。
そして、僕と妻は、毎日、息子を見ている。息子を抱きしめ、息子を叱りつけ、常識を植えつけたり、愛情を注いだり、一緒に遊んだりする。


本当に大切なものは、目に見えないものさ。

妻と『ブッタの言葉』

今週のお題「結婚を決めた理由」

中学生の頃だったと思う。初恋の女の子が好きな男の子は、彼女といい関係になっていた。けれど、彼女にライバルが現れ、違う女の子に彼を取られた。彼は優しくて二枚目で運動が出来て頭が良かった。
たまたま、文化祭か何かだったと思う。僕は初恋の女の子と一緒に、夕方遅くまで何かの作業に追われることが多くなった。自然と二人きりになることが多くなり、彼への想いや悲しさなんかを聞いていた。
よくあることだけど、僕とその子の距離は近づき、もう少しで良い関係になりそうだった。

冬のことだ。雪がとても積もっていて、寒かった。学校帰りは、いつも二人で帰ってた。ある日を境にして、彼女が心から笑わなくなっていたことには気がついていた。そして、僕は「やっぱり、◯◯君のことが好きなの」と言われた。何度も繰り返すけど、彼は優しくて二枚目で、運動が出来て頭が良かった。

そうだ。あの日を境にして、僕は考え方を変えた。まともに戦っても勝てないものは勝てない、と。そして、僕はいつの間にか、ボタンを掛け違えた。モテたくて人と違う趣味や能力を身につけているうちに、こじれた。女子にキャーキャー言われても仕方がないじゃないか、と斜に構え、モテなくてもいいと思うようになった。別にモテたわけでもないのに。

気がついたら、24年間、女の子とお付き合いをした事がなかった。こじれまくっている僕は、30歳まで貞節を保ち、その後、仏門に入る事をなぜか考えていた。

だが、世の中はあまりにも思い通りにならない。
女子へ抱く欲望をいかにして抑圧できるか。アダルトビデオの類といかにして決別するか。日々、煩悩と戦っている時だった。
ある日、友人とお酒を飲んだ。
酔っ払った僕は、池袋の公園で寝てしまい、全財産を置き引きされた。
次の週、わずかに残った予備のお金を入れた財布をすられた。
そして、次の週、もはや何も取られるものはない、と思っていたが、バイト先でカバンを取られ、免許証やレンタルビデオ屋の会員証などを取られた。
次の日、部屋の鍵を落とし、僕は途方にくれた。このままだと、空き巣に入られかねない勢いだった。

そんななか、バイト先の友人が女の子を紹介してくれるといった。もちろん、仏門へ下る予定だった僕は断った。だが、その日の僕は違った。いや、紹介してもらおう、と改めたのだ。
あらゆる煩悩を他力本願的に失った僕は、本来喜ぶべきなのに喜べなかった。僕は、仏門に下れないかもしれない。僕はそう思った。よし、ならば、女の子を紹介してもらおう。そして、何事もなければ、その時こそ、仏門に下ろう、と。

紹介してもらった女性は、僕のタイプの女の子で、僕は釈迦を捨てて、彼女のもとに走った。
釈迦を見捨てた時、僕は「やっぱり◯◯ちゃんが好きなんです」と釈迦に伝えた。釈迦は何も言わなかった。きっと彼は言われ慣れている。そして、そのたび、何事も起きない。

良い事をされても、悪い事をされても、心は常に平常を保つ。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

父親の記憶と『明るい部屋』

父親は、土建の仕事をしていた。
毎日夜遅かった。だいたいお酒を飲んで帰ってきた。今では考えられないが、みんな飲酒運転をしていた。

父親は、泥臭くて、セメントくさくて、加齢臭で、タバコ臭くて、酒臭かった。臭いのない父親のことは知らない。

今日、恵比寿の駅前を通ると、ビルの建設工事をしていた。夜しかできないことなのだろう。道幅いっぱい使っていた。
工事中の場所を通り過ぎようとしたら懐かしさを感じた。

タイトなスカートを履いた女性が2人、前を歩いている。彼女たちは、ヒールの高い靴でよろよらと歩いていた。酔っ払っていたのかもしれない。後ろから聞こえる声は、男女の会話する声だった。

工事現場の横で、ご注意ください、と優しく囁く警備員。彼の声は、工事の音で途切れ途切れに聞こえた。

父親の臭いがする、と思ったのは、工事現場を照らす蛍光灯の眩い光を見たときだった。光に照らされた工事中の人の影が際立って見える。セメントの臭いがした。土の湿った泥臭い臭いがした。

カールラガーフェルドは、最近本の香りがする香水を出した。彼自身が楽しむためだけの香水なのかもしれない。
それは、彼の私的な喜びだったのだと思うのだ。

ロラン・バルドの『明るい部屋』は、最愛の母親の写真について書かれている。僕が何かを言えるとしたら、それだけ。写真の良し悪しも、視覚的な文化も、それらの芸術もよく分からない。ただ、彼が彼自身の母親の写真を見たときに感じる、愛情なら知っていると思う。

有隣堂アトレ恵比寿店はもう閉まっていて、これから本屋へ駆け込むことはできない。
光が照らしている男は、僕よりも若く、僕の父親だった。工事現場の音が耳もとで響く。臭いが遠のくと、父親の幻影も消えた。僕は『明るい部屋』をすぐに読みたかった。

そして、カールラガーフェルドがへんてこりんな香水を作ったのも分かる気がした。いつか僕らは、煙草と加齢臭とアルコールの混ざった香水を作るのだろう。
セメントと泥を調合した香水を百貨店で得るだろう。

それらは、遠い記憶の中でくすぶっている毎日の、美しい記憶を調合して作ることができる。

明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

フジファブリック『若者のすべて』と川内倫子『花火』

記憶の中で一番古い花火大会は、山形県朝日町の上郷ダムの花火大会だ。その花火大会では、最後のクライマックスにナイヤガラの滝がダムいっぱいに打ち下ろされ、5尺玉が盛大に打ち上げられる。それは、お決まりだった。

小学校くらいにその花火大会は終了した。中学、高校になるといけてる奴らがいけてる女子達と花火大会へ行っていたらしいが、僕は近所を走ってた。ジョギングの最中に遠くで打ち上げられる花火を見ていた。

高校三年生の夏、山形県長井市の花火大会を見に行った。彼女のいる奴らは彼女と見に行ったらしい。男子の燃えカスみたいな僕らは、男6人でワゴン車に乗って見に行った。
会場には、男女のグループが華やかな出で立ちで練り歩き、わー綺麗、とかすごーいとか言っていた。その日、僕らは花火なんか見てなくて、すれ違うグループに女の子がいるかいないか、女の子が可愛いかどうかだけ見ていた。

妬み嫉みの塊になった僕らは、ストレスフルで帰りのワゴン車に乗り込む。渋滞で動かない車の横を自転車で駆け抜けていく、男たちグループ。彼らはゆるゆると動く僕らを見て、おせーな、とか、邪魔だ、とか言って挑発する。間違いなく、あいつらも妬み嫉みなんだろう。
今度は、僕らの車が緩やかに彼らに並んぶ。並んだ瞬間、友人が扉を突然開き、自転車の妬み嫉みに向かい罵声を浴びせた。奴らは挑発に乗った。開いた扉から車に乗り込もうとする。
互いの妬み嫉みが一触即発になった瞬間、運転手は全力でアクセルを踏み込み、逃げた。遠くなっていく妬み嫉みに、僕らは罵声を浴びせた。

帰り道、一言も発せずに静かになった僕らはカセットテープから流れてくる歌を聴いていた。なんの歌だったか覚えていない。
誰か口ずさんでいた。
それでも、誰も互いに一言も話そうとはしなかった。
幼馴染の女の子の家の前を通り過ぎる。彼女の部屋の明かりは付いていない。彼氏と花火大会を見に行ったのかもしれない。


ないかな ないかな やっぱりいないよね
あったら 言えるかな 瞼閉じて浮かべているよ
『若者のすべて』フジファブリック


たぶん、あの日、僕らはそれぞれ好きな子がいたんだと思う。彼女たちは別の誰かと一緒に花火を見て、きっとどこかのホテルへ行ったんだ。
それは別に普通で、怒っても仕方がないことなのに、その事実が許せなくて苛立って、虚しくなってた。
そんな風に感じてることがかっこ悪くて、誰にもそんなことが言えなくて、互いが互いの好きな子を黙って探してたんだ。
いないよな、いないよなって。
きっと、会えたとしても僕らは片手を上げて不細工な笑みを浮かべるだけ。
瞼の裏ではあんなにフランクで愉快な男なのに、本当の僕らは燃えカスというより湿気った花火みたいだったから。

あれから20年くらい経て、あの時、好きだった女の子とも連絡がつかなくなった。
僕は結婚して、子供が一人いる。
東京都と神奈川県の境目の二子玉川の花火大会を今年は見に行った。


フジファブリックの『若者のすべて』を最近YouTubeで見つけた。
最後の花火に今年もなったな、というところだけ、耳に聞こえてきた。ずっと好きなのに、映像が浮かばなかった川内倫子の『花火』のイメージが脳裏に浮かび上がってきた。

あの日、彼氏と一緒にホテルに行って、一生を誓い合っただろう彼女たち。誓いなんてものを何も信じてなくて、ただ今に身を任せていた彼女たち。男たちにとっては、花火大会なんて儀式でしかなくて、大概はホテルへ連れてくための口実だった。
どうせばれてるんだ。でも、みんな必死に取り繕って、彼女たちをホテルに誘う。彼女たちもうっとりした表情で頷くんだ。まるで、花火が打ち上がった美しい瞬間に、世界が永遠に時を止めてしまったかのように。

僕ら燃えカス6人とも、本心とも建前とも分からない、彼女たちの表情を思い浮かべてた。

それが、僕の『花火』の景色だった。

花火

花火

若者のすべて

若者のすべて

山形県長井市には八文字屋書店があった。本とは程遠い生活を僕は歩んでた。今なら、どんな風にあの本屋さんを思うのだろう。
八文字屋書店は山形県に本の文化を流通させる最後の砦のようなものなのだから。

青山ブックセンター本店と『現代写真論』

青山ブックセンターへ行くのは、いつも楽しみだ。買うものを決めて伺い、買うものを買って帰る。Amazonで買えばいいじゃないか、という人もいる。でも僕はそんなもったいないことをしない。欲しい本がどこに置かれてるか、見にいく。

今号の+81を買おうと思ってた。
書店員さんとメタルと台湾の話をして、ついつい浮かれてしまった。すっかり失念した。

昔、写真集の勉強をしようとおもって、写真史の本を選んでもらった。その中でも、『現代写真論』は面白かった。見ることと読むことは、等しい。でも、なかなかそうならない。
その感受性が欲しい。

現代写真論

現代写真論

いか文庫と『永遠の詩 03山之口貘』

いか文庫は、エア書店で本当は本屋は実在しない。でも店員は実在する。

阿佐ヶ谷にある、よるのひるね、でいか文庫は不定期に詩のイベントを主催している。
もっとイベントはたくさんやってる。ただ、僕は行ったことがまだない。よるのひるねにしか行ったことがない。
その会もまだ二回だけ。詩のことをあまり知らない人たちが集まり、楽しんでいる。
この間は、山之口貘さんをみんなで読んだ。
その時まで、知らなかった

永遠の詩 (全8巻)3 山之口貘

永遠の詩 (全8巻)3 山之口貘

ウィークエンドのブックエンドと『THE BOOKS 365』

本が好き、と言うだけで話が止まらなくなる。

金曜日、堀江敏幸さんが好き、と言われときめき、土曜日、梶井基次郎の『檸檬』が好きと言われ興奮し、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が好きと言われ感嘆し、エンデの『モモ』で本が好きになったと言われ、わーと唸る。
カール・ラガーフェルドの作品集と『ビジュアルコンプレキシティ』を交換してくれた人、北園克衛の『VOU』に興奮してくれた人、中上健次が好きな人は、『移民たち』を買ってくれた。
かもめブックスさんから預かった『高円寺純情商店街』と伊坂幸太郎の本を交換した。

いろんな人と話をしていて、ブックリストを作りたい、そう思って作ったのが、きっとミシマ社の『The BOOKS 365』なんだろうな、と思ったウィークエンド。

友達が主催したフリーマーケットのブックエンド前で。

THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」

THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」