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本のこと、はしること、山形県のこと。

本と本屋さんのことを中心に書こうと思ってます。走るのが好きです。山形県出身です。内容をちょっとづつ調整していってます。

『そして誰もいなくなった』と2015年

走ること、と銘打ちながら、走ることについてほとんど書いてない。

読んだ本は必ず、どこか得体の知れない想像と結びつく。まるで夢の中のように、単語と単語がタンゴを踊る。
いま、僕は上手いこと言った、と思う。

走っている時も同じ。
その時のことを書きたいな、と思うのだが、うまくいかない。
本を読むように、単語と単語が結びつくわけではない。感触と感触が混じりあっている。

人の記憶と最も結びついているのは、嗅覚だ、と言われる。

日常的に嗅いでいる臭いを刺激として捉えると、脳がおかしくなってしまうらしい。なので、家族の匂いや自分の匂い、普段の家の匂いは、通常嗅ぐことができない。

ある時、ふとなんだろうこの匂い、と感じることがある。その匂いを嗅ぐだけで泣きそうになる。

アスファルトが濡れた匂いを嗅ぐ。
なんだろう、といつも思う。

走りに出かけ、雨に降られる。
乾いていたアスファルトが雨に濡れていく。匂いが立ち上がる。
その感覚を言葉にすると、ただ懐かしいということだけだ。他になにも言い表せない。

帰省した時、夜に走ることがある。
その時も同じように感じる。土の匂いなのか、空の匂いなのか、水蒸気の匂いなのかも定かではない。
ただ、懐かしいという言葉しか思い起こせない。感情表現に乏しいのかもしれない。

文章の雰囲気で、あの懐かしい、という感じを伝えてくれる本を読むと、走っていた時の気持ちを思い出す。挫折感や劣等感を思い起こしながらもネガティヴな気持ちにならない。あの感じはなんだろう。

スクールヒエラルキーの話題も同じように挫折感や劣等感の中でなぜだかネガティヴな思い出にならない。
周囲に女子がいたことはなくて、いつも女子と遊んでいる子達が羨ましくて、憧れていた。そこには圧倒的な挫折感と劣等感があった。でも、なぜかあんな風になりたい、という憧れはなく、いまでもあの時ああしていたら、なんていう風には思わない。
これはなんなのだろう。

今日、『髪とワタシ』の忘年会イベントへ行ってきた。21:30くらいからライブがあった。青谷明日香って子。
かまぼこの板の歌を歌っていた。

ああ、ああいう感じなんだなって思う。この歌、聞いてるだけで幸せになるな、と微笑んでる。
そんな想いを伝えるのも難しい。歌は聴覚を刺激する。聴覚の出来事を伝えるのもまた、難しい。

こないだ、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を読んだ。
パズルのようなストーリーで、読み進めていくごとに、パズルがはまっていく感じが面白かった。

高山宏さんの『黒に染める』か『アリス狩り』だったかで、『そして誰もいなくなった』を論じている文がある。
その感覚がとても好きで、何度か書こうとしたけど、うまく書けずにいる。
なんだな、あれだ、結局、読んだ本のことだって、うまく書けたりしないんだ。

とにかく、その文を思い出して、It's a small world を思い出したわ、小さな世界。限られた世界。隣の人と触れ合う事を恐れる世界。

歌を聞いて、感動して、どうにか言葉にしようとしたけど、うまくいかなかった。うまくいかないことを考えていたら、高山宏さんのことを思い出した。
頭の中は、逆引き辞書みたいで、うまくまとまろうとしてくれない。
会話が五十音順にキャッチボールできるなら楽なのに、と思う。

電車で眠る女性の頭が肩に寄りかかる。
髪の毛から懐かしい香りがする。
なんの香りだろう。思い出そうとするたび、涙が出そうになる。悲しい過去じゃないはずなのに、過去を思い出そうとすると涙が出てきそうになるのはなぜだろう。

サリンジャーの『コネチカットのひょっこひょっこ叔父さん』という短編の最後。
わたし、いいこだったわよね
と書かれている。
あらゆる記憶。本当にあらゆる記憶が蘇った時、必ずその言葉を口に出すことなく、つぶやいている。
わたし、いいこだったよね、と。

記憶の映像を細かく書いたり、感傷を断片的に連ねることは、それほど難しいことじゃない。
記憶ってそんな風なもんだと思うから。

もうすぐ歳終わる。
一年を振り返る。一年を振り返るついでに、毎年生きてきた今までのことも振り返る。

宇宙の時間で換算したら、僕の生きた時間など、呼吸の断片にすらならない。一瞬。刹那の出来事。だから記憶が混濁してしまうのも無理はない。物事は重なり合っている。
脳みその中に一度格納されてしまえば、シュレーディンガーの猫が死につつ生きてるみたいなブラックボックス
物理学者の天才たちが重なっているというのだから、それに追随するだけ。

薄羽蜉蝣の一生を儚いもののように例えてしまう。本当に儚いのは、そんな風に時を刻むことでしか生を測れなくなってしまった、人間の知性だ。

今年は、反知性主義、という言葉が賑わった。
しっかり調べたわけじゃない。もちろん。うまく書けない。
ともかく、イデオロギーはなんであれ暴力装置なのだと思う。

知性は時として、原爆のスイッチを押させようとし、反知性は無差別な虐殺を生み出す。
じゃあ、どうしたらいいの?と問う。
まあ、程よくね、と返される。

そんなことは、戦争をする前からやってたんだけどね。正義のために戦おう、って言ってなかったっけ?正義のために!って。

ペンを武器にして、誰かに剣をもたせてる。
肉を食べながら、ライオンに襲われた鹿をかわいそうだ、という。ミンチにすり潰した肉を食べながら、テレビのドキュメンタリーなんかを見てるんだ。

クジラを食べるな、といったりする。
私は菜食主義、殺生はしないとか。そりゃあ。自慢げに。
植物に命が備わっていない、と区分けしたのはなぜなのだろう。

生物と無生物のあいだ、と分けてしまう人間ほど、虚しいものはない。道端の石ころを手に取り、神仏のように崇めていたのは、そんな昔ではない。重なり合っている。全部同じ瞬間。

山形の朝日町には空気神社というのがある。神は何もない。
その空気は、今、目の前にも繋がっているやつだ。

走ってる時、鼻から空気が入ってくる。あの匂いは、神様なのかもしれない。
だったら、仕方ない。書き表せなくても。

フラニーとゾーイー』の中で、太っちょのおばさまが、神様なんだって言ってた。
彼女が口ずさむ鼻歌みたいなやつ。パーマネント液の匂い。

腰痛持ちの湿布。薄汚れた作業着の加齢臭。汗が発酵したロッカールーム。本の印刷の匂い。

めんどくさいから、それらを2015年は神と呼ぶことにした。
来年はもう少し書くのがうまくなりたい。

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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美容文藝誌 髪とアタシ 第三刊「考える髪」

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新編 黒に染める―本朝ピクチャレスク事始め

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ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

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異端児の城

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