本のこと、はしること、山形県のこと。

本と本屋さんのことを中心に書こうと思ってます。走るのが好きです。山形県出身です。内容をちょっとづつ調整していってます。

『習得の情熱』と夏の日のプール

得難い体験がある。
自意識に酔いしれること。偉大な詩人であるかのように、言葉を紡いでいた時、それは喜びだった。
他者の評価を気にすると、詩は苦痛に満ちた。表現は陳腐で経験は未熟だった。詩は変哲も無いガラクタなようなものだったが、それは他者のいうことでしかない。美しいものを美しいと書き、醜いものを醜いと書いた。1日ごとに違う言葉と、よく使われる言葉がノートに書き残される。時間の失われた場所に、ぽつりと置かれた言葉と感覚、共振する映像に寝不足の体は火照りを覚えた。
これからアルバイトがある。理屈は常に脳の片隅に存在していて、今、を邪魔してくる。時計のアラームがなり、焦心は理性の前に現れる。没入していた自意識から引き剥がされる。怠惰な夕日を浴びて、寝癖をつけたまま家の扉を開く。働かなければ生きてはいけない。憂鬱な気持ちでアルバイト先まで歩いた。
夕方18時に店のタイムカードを切る。1日が長く感じる時もあれば短く感じる時もある。仕事は仕事だった。楽しいこともあればそうでもない日もある。ただそれだけだった。自律した選択は存在せず誰かの介入の中で右へ行き、左を向いた。そんな風にして仕事を終えた。
タイムカードを再び切る。店の駐車場で仕事仲間と話をする。帰宅するものは少ない。深夜0時に終えた仕事から朝日を迎えることもあった。何を話していたのかは重要ではなかった。
いつ頃からだろう。真っ暗な朝方、時間でいうと午前3時くらいになると、ドライブへ出かけることが多くなった。暗闇の中、眠気を引きずりながら、いろいろなところへ行った。
そんな風にして、街から離れた中学校へ向かった。中学校へ着くとうっすらと東の山際が明るくなり始めていた。暑い日だった。きっと熱帯夜だったはずだ。誰だったか覚えていない。暗闇の中、ジャバンと水に何かが入る音がした。みんながその方向を向く。プールかあった。水面には1つの顔が浮かんでいた。みんなも入ろうぜ、と呼ぶ声がした。男の子も女の子もみんなプールへ入った。
その日の夜明けはあっという間にやってきた。一瞬一瞬はとても長かった。水をかけあう水滴の一粒一粒がはっきりと見えた。薄暗いプール。女の子たちは下着が透けて見え、男の子たちはただ水をかけあっていた。全ては正しいことだと分かっていた。
太陽は完全に登る。ずぶ濡れになったまま車に乗り込むと、車の持ち主は嫌そうな顔をした。世界の全てがここにはあった。エンジン音がなる。シートベルトを外し、窓を開けると、体の半身を外に投げ出して両手を広げる。車のスピードは緩まない。一時限に間に合うかな、と運転手は言う。間に合わせればいい、と車の外に出た体のてっぺんから声がする。

 

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

 

 

 

『生きとし生ける空白の物語』と北緯38度線

国道113号線のすぐ近くで育った。
小学生か中学生のころだったと思う。国道113号線は、北緯38度線をなぞるように、日本海と太平洋をつないでいる、と担任の教師が言った。国道113号線は、国境になりえたのだ、と。

厳密に言えば、それは国境ではなく、軍事境界線だった。
国道113号線の北側に生まれた。初恋の女の子は、国道113号線の南側に生まれた。南北を分断したら、彼女のことを知らずに大人になったのだろう。

高校時代、陸上部に入部した。春と冬の合宿は、雪が少ない福島県楢葉町へ行った。陸上部には女子部員がいなかった。他校と合同で行う合宿は、女子と交流できる数少ない機会でもあった。それでも、合宿を楽しみにする奴など誰一人いなかった。合宿は、地獄でしかなかった。
合宿の後半に準備された、緩い練習メニューの日がある。高校2年の春だったと思う。海辺の淵にある天神岬公園へ行き、他校の女子部員と一緒にサーキットメニューをこなした。
福島県浜通りの冬は乾燥して、よく晴れている。太平洋に反射する太陽の光は、視界を突き刺すように輝く。
女子部員とろくに話することもなく、天神岬公園をグルグルジョギングをした。奥羽山脈の東側では大雪だと天気予報は言っていた。

大学は福島県いわき市へ進学した。
楢葉町から国道6号線を南へ向かった土地。大学へ進学したら女の子と付き合ったりするんだろうと思っていたのに、結局、誰ともお付き合いする機会に恵まれなかった。
走ってばかりいた。
大学1年の冬、国道6号線を北上して、かっての地獄だった楢葉町まで走ることにした。夜中に出発した。真っ暗な闇の中で、自分の足音が聞こえる。海辺の波の音が聞こえる。時たま通る車のヘッドライトが闇を照らす。
夜明け、東から昇る太陽は、高校時代と同じように、とてつもなく眩しかった。輝いていた。乾いた空気がどこまでも光を透過させていた。

大学3年の時、国道6号線を南へ向かった。ひたちなか市の友人の家まで走った。およそ100キロほどだった。
日立市に着いた時、もうすぐたどり着く、と自分を奮い起こした。日立市を越えた後たどり着いたのは東海村だった。

大学4年の時、アメリカ同時多発テロが起きた。テレビから流れる映像は映画のようだった。

空白。
真実から背を向けないと生き抜けない、記憶の塊。
大学卒業後、上京した。かつて、とかたり出そうとする記憶が、要領よく編集をする。

2011年3月にそれらの虚構が押し寄せてきて、何もしないまま、立ち止まった。これまでも、これからも、空白に立ち向かえない弱さを目の当たりにして、毎日、歯を磨き、風呂に入り、ご飯を食べて寝る。
山形の祖母は年々身体が弱り、記憶を失っていく。真っ白な頭だ。帰省するたび同じ話を繰り返す。

北緯38度線から数百歩北へ向かう。歩いて1分、走って30秒。
低い山の裾にある実家の家の犬が今年死んだ。北緯38度線から数千歩。歩いて5分、走って2分の場所に住んでいた初恋の女の子は嫁いでここにはいない。
サクランボの木がそのあたりにはたくさんある。

国道6号線をつなぐ、原子力発電所。乾いた風がもう直ぐ吹き始めるのだろう、と夏の終わりに思い出す。
近頃はめっきり寒くなって、晴れ間が美しい。
東海村双葉町も夜空の星が手に届くような場所だった。朝日はさ、体を透過していくほど輝いているし。

あのあたり。コンビニエンスストアにはいると、いつもaikoの歌が流れていた。無邪気に鼻歌を歌ってさ。暗闇のなかを、朝日のなかを走り抜けようとしてさ。覚えてるのは、それだけ。あとは、思考停止する。

関東出身の上司が2011年の夏に東北へ旅行へ行った。

空白。

『生きとし生ける空白の物語』。
空白にはすっぽり自分が入る。
空白を知ることは、自分の体に傷をつけるようなものだ。
空白を知るために、記憶をぶつける。
痛い、あ、ここには空白と記憶の境目がある、っていう感じで。縁日の型抜きみたいだ。一度も成功したことのないやつ。難しいやつだと1000円もらえるやつ。いつも、緊張して、手が震えて、パリって割っちゃうやつ。

高校の卒業式の日、中学時代の友人たちと、国道113号線を西に向かった。
海に沈む夕日を見て、今だ食べたことのなかった吉野家の牛丼をみんなで食べた。

ここは、東洋のアルカディアだ、とイザベラバードは僕の故郷のことを言った。僕は夢うつつでアルカディアから東京へ向かった。
東京には吉野家がたくさんあった。

生きとし生ける空白の物語

生きとし生ける空白の物語

『なぜ、人は走るのか』と高校時代

高校時代に彼女はいなかった。誰とも付き合った事は がなかった。
中学生の頃、学校のマラソン大会で1位を取った。高校へ入学してしっかりした練習をしたら、オリンピックに出れると思っていた。
陸上部に入部すると、全国区の学校だった事を知った。まともな練習には参加させてもらえず、毎日砂利道をジョギングしていた。

同級生の女の子や、年上の女の子がスカートをなびかせて、その道を通る。彼女たちの横顔を見つめながら、補欠にさえなれない自分を恥ずかしく思ったりした。

彼女たちは、なぜだかいつも楽しそうなくせに、下校中、1人で自転車をこいでいるときは、憂鬱そうだった。たまに、ジョギングしてる僕らを見ている子がいた。別に話しかけもしないし、立ち止まるわけでもない。ただ、見ていただけ。
そんな時の彼女たちの顔が好きだった。

数ヶ月ジョギングの日々を終え、ようやく本練習に参加した。初めて参加した練習は気が狂うかと思った。それでも、先輩やスポーツ推薦で入った彼らの半分のメニューだった。なぜ、僕は走るのだろう、と自問した。

それでも毎日走った。来る日も来る日も走った。次第に練習にも慣れてきた。慣れたとはいえ、練習は地獄だったし、いつも後ろを走っていた。
喘ぐようによたよたと走る姿を、同じクラスの女の子がよく見ていた。彼女とは2回くらいしか話した事がなかった。

かっこ悪いな、と思っていた。
前を走る先輩たちは、ストライドも大きく、颯爽とタイムを刻んだ。来年になればあんな風になれるんだろうか、そんな事を思っていた。

高校2年になると、スポーツ推薦で入部しなかった同級生のタイムがのびた。県大会で入賞するレベルまで上がった。一方、僕は後輩たちにも抜かされ、よたよたと最後尾方を走っていた。

なぜ、人は走るのだろう。
苦痛に歪む顔でさらにスピードを上げる選手もいた。最初から全力で走り、気力を尽くしてゴールする戦法をとる選手もいた。僕らは走っていた。バカみたいだった。

陸上部のトップレベルの選手は彼女がいた。彼らは女子たちと楽しそうに話をする。僕は彼らを横目で見るだけだ。ただ、羨ましげに。
高校3年の冬、オリンピック選手にはなれない事がわかった。いや、もうずっと前に分かっていた。目の前には雪が積もっていた。素肌を露出した女子高生たちの足が、寒さに震えている。
吐く息が白い。
街には雪解け用の水が放たれていて、ランニングシューズがびしょびしょに濡れた。引退した先輩がたまに遊びに来る。彼らはもう走っていなかった。

別に理由なんてなくて、ただ、人はずっと前から走ってきただけなんだ。
ダイエットでも健康でも生きるためでも、もてたいからでもいい。
なぜ、僕らは走るだろう。

なぜ人は走るのか―ランニングの人類史

なぜ人は走るのか―ランニングの人類史

『カバンの中の月夜』とリブレット千種店とtales of the new age

呟くような声、嘆く歌。囁くように語り出し、メロディを作る。とても単調な。

Tales Of The New Age

Tales Of The New Age


愛を忘れた私は、愛せない恋人の耳元で、おはようと歌う。快楽よりも依存に近い。抜け出そうとすればいつでも抜け出せる。

私はあなたに抱かれてるだけ。あまりにあなたは可哀想で、みすぼらしいから。
男の背中は華奢で、貧相だった。私はその背中に指を這わせて遊んでいる。

朝がやってくる。

何もない白い部屋。
四角いベッドだけがある。
男は起きて、窓の外を見てる。

黒い四角いテレビ。
画面に反射する顔。私、化粧が剥げている。朧な画面の私は、髪の毛を手で梳かす。少しは女らしい感じにするため。

黄色い灰皿に黄色いタバコのパッケージが置かれている。白くて細長い、骨だけの男の腕が伸びる。真っ白なブリーフパンツ。白いタバコの煙を吐いた。

白い部屋の中に、白い煙は舞い上がる。タバコは天井の隅で暗がりの隅に黒ずんで留まる。天井には黒い染み。黄色い染み。

朝の陽光が天井を照らす。その光は時に白く輝く。瞼の裏に白い傷跡をつける。
私はことあるごとに、瞬きをしている。

青い目をする男は、青いひげを生やす。三角形のサンタクロースみたいなやつ。ガラス細工のおもちゃみたいな。

ベッドの上には海水浴場でよく見かけるような馬の模様のあるパラソルが広げられている。パラソルの骨のところは三角形になっている。
天井に屯う煙は摩天楼のビルディングみたいにそびえている。

黄色い三角星のハンカチーフがベッド横に落ちている。

何もない部屋のベッドに横たわる白くて細い男の、細くて長い腕。白い煙はその腕に反射して、白い朝の陽光と同化する。

私、あなたと一緒になんかならない。
あなたは、私のこと好きでも嫌いでもない。
頭の映像で、ラスベガスのルーレットみたいに、白い玉がくるくる回る。

愛してない男の愛してない白い腕に抱かれ、私のこと愛してるでしょ、と尋ねる。ここは安定した落城。無職者達が占拠する、誰も気に止めることのない城。

朝の陽がベッドに差し込む。
24時間で6分だけ差し込む陽の光。

男は立つ。洋服を着る。
私はベッドに横になったまま、天井を見てる。タバコの煙はすでに霧散して、くすんだ天井しかみえない。

また、連絡するよ、と男は言う。台所に置かれた黒いコーヒーを飲み干し、苦いな、と呟く。死を目の前にし、絶望的で助かる見込みがない、男のように。

きっと私の方が先に死ぬ。
男の気配がドアの向こうへ消える。私は天井を見てる。黄色い灰皿の男の吸ったタバコの吸殻を手に取り、ライターで火をつける。
真っ赤な炎がタバコを燃やす。
ゆっくりとタバコの煙を吸い込む。肺へ煙は落ちていく。

煙を吐き出す。吐き出てきた煙は、灰になった肉体みたい。フェニックスの伝承みたいに、灰から蘇り、また炎に焼き尽くされて灰になる。

神様は良かれと思ったのだろう。私に永遠の命を与えてくださった。1日が過ぎると、死に絶え、朝とともに生き返る。

でも、まるで地獄みたい。

死んでも死んでも、また蘇生する。
私は、愛していない男の胸の中で目覚め、白くて細い背中を人差し指で愛でるふりをする。
男の上に跨り、善がり、喘ぐ。

男はもう部屋を出た。
私は裸のままで部屋の窓ガラスを開ける。
あらわになった胸が風に吹かれている。

ドレスルームに掛けられた服に着替え、化粧をする。赤い口紅をつける。
私は良い子だ、と私に言いつける。

朝の陽は、部屋から去った。

玄関を開けて部屋を出る。晴れている。雲一つない快晴だった。きっと休日なら憂鬱だったに違いない。
ピンヒールの音をアスファルトに叩きつける。単調なリズム。呪文みたいに繰り返す、単調な言葉。

夕方、イオンモールへ買い物へ行く。買い物のついでに本屋さんへ向かう。リブレット千種店。
北園克衛の『カバンの中の月夜』が飾られていた。蛍光灯で色落ちした表紙。踏み台を登り、手に取る。

単調な世界の出来事。
私はレジで財布を開きながら、綺麗な本はないですか、と尋ねる。店員はないです、と答えた。
お金を払い、野菜を買って帰る。

今日は昨日よりまとも。
部屋に帰ると誰もいない。明かりをつけてベッドに倒れ込む。

今日より明日の方がもっとずっとまとも。

カバンのなかの月夜―北園克衛の造型詩

カバンのなかの月夜―北園克衛の造型詩

『バカはサイレンで泣く』と岩瀬書店富久山店

ここは、大宮でも福島でもない。

新幹線で北上する。窓際の席で息子が折り紙をしている。
体調が良くなく、身体中の神経が軋んでいる。寒気らしい寒気はない。

駅で買った、缶コーヒーが美味しかった。

新幹線のホームにいた駅員に、次の新幹線の発車時刻を聞いたら、何?とぶっきらぼうに言われて腹が立った。
おいおい、と声に出してしまう。
あの怒りをどう受けながすべきなのか、その答えは当分見つけられそうにない。

KITTEで買った鹿児島の弁当屋が美味しかった。大人でもお腹いっぱいになる量を、息子は軽々平らげた。
人の満腹感などは、物理的な限界というより、感情的なものに左右されるものなのだ。
息子は、普段、こんなには食べない。

新幹線は北へ行く。
山形にはまだ着かない。
窓から見える空には雲がない。木々の肌が露わになっている。

帰省中、読もうかと思った『タタール人の砂漠』は、三ページ以降読むことが出来ない。
息子と二人だと難しい。息子が寝たタイミングでページを開き、すぐにうたた寝する。
結局、10ページくらい読んで眠る。

ここが、大宮でも福島でもいい。

新幹線の景色は、ただ目的地いがいを飛ばしていき、ドアが開いたと思ってもすぐに閉じてしまう。

車掌さんが、駅名をアナウンスし、出発のサイレンを鳴らす。
大学の頃、『バカはサイレンで泣く』にはまった。友人と一緒に本屋へ向かい、バカドリルシリーズを買い漁った。

いわき市に住んでいた僕らは、バカドリルをコンプリートするために郡山市まで車を走らせた。岩瀬書店富久山店には、当時、想像できる限りの本がすべて揃っていた。

僕らは広大な本棚の間をくぐり、『バカはサイレンで泣く』を見つけ出す。

郡山駅を過ぎて、福島駅に着いた新幹線は、東北新幹線山形新幹線の連結を外す。
自由席からはみ出した乗客が、少しずつ少なくなっていく。
福島駅のホームには、春みたいな日差しがさしていた。

大学を卒業し、上京する。
東京に住み始め、2年くらい経った頃。久しぶりに帰省した東北の風はとても冷たく鋭かった。
もうお前など知らない、と風が吹き付ける。
各駅停車で帰ったその日、福島駅で3時間待った。駅のホームで読み終えた文庫を枕にしていると、山形が果てしなく遠く感じた。
ここは、山形でも福島でもない。
ましてや大宮でもない。
そんな風に、所在不明の肉体が、仮の重力に救いを求めて、福島駅のホームに縛り付けられていた。

3時間後にやってくる電車は、山形へ運ぶのではなく、宇宙空間へ運んでしまうのではないか、と思えた。
そこは、どこでもなかった。

息子が横で目覚める。
窓の外は、雪が積もっていた。
雪だよ、と彼は言った。

風は冷たかったが、温かくもあった。
足下のスーツケースを蹴りながら、雪、積もってるね、と息子に返す。
息子は、窓の外を見たまま、なにも言わなかった。

バカはサイレンで泣く (扶桑社文庫)

バカはサイレンで泣く (扶桑社文庫)

バカドリル

バカドリル

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

『そして誰もいなくなった』と2015年

走ること、と銘打ちながら、走ることについてほとんど書いてない。

読んだ本は必ず、どこか得体の知れない想像と結びつく。まるで夢の中のように、単語と単語がタンゴを踊る。
いま、僕は上手いこと言った、と思う。

走っている時も同じ。
その時のことを書きたいな、と思うのだが、うまくいかない。
本を読むように、単語と単語が結びつくわけではない。感触と感触が混じりあっている。

人の記憶と最も結びついているのは、嗅覚だ、と言われる。

日常的に嗅いでいる臭いを刺激として捉えると、脳がおかしくなってしまうらしい。なので、家族の匂いや自分の匂い、普段の家の匂いは、通常嗅ぐことができない。

ある時、ふとなんだろうこの匂い、と感じることがある。その匂いを嗅ぐだけで泣きそうになる。

アスファルトが濡れた匂いを嗅ぐ。
なんだろう、といつも思う。

走りに出かけ、雨に降られる。
乾いていたアスファルトが雨に濡れていく。匂いが立ち上がる。
その感覚を言葉にすると、ただ懐かしいということだけだ。他になにも言い表せない。

帰省した時、夜に走ることがある。
その時も同じように感じる。土の匂いなのか、空の匂いなのか、水蒸気の匂いなのかも定かではない。
ただ、懐かしいという言葉しか思い起こせない。感情表現に乏しいのかもしれない。

文章の雰囲気で、あの懐かしい、という感じを伝えてくれる本を読むと、走っていた時の気持ちを思い出す。挫折感や劣等感を思い起こしながらもネガティヴな気持ちにならない。あの感じはなんだろう。

スクールヒエラルキーの話題も同じように挫折感や劣等感の中でなぜだかネガティヴな思い出にならない。
周囲に女子がいたことはなくて、いつも女子と遊んでいる子達が羨ましくて、憧れていた。そこには圧倒的な挫折感と劣等感があった。でも、なぜかあんな風になりたい、という憧れはなく、いまでもあの時ああしていたら、なんていう風には思わない。
これはなんなのだろう。

今日、『髪とワタシ』の忘年会イベントへ行ってきた。21:30くらいからライブがあった。青谷明日香って子。
かまぼこの板の歌を歌っていた。

ああ、ああいう感じなんだなって思う。この歌、聞いてるだけで幸せになるな、と微笑んでる。
そんな想いを伝えるのも難しい。歌は聴覚を刺激する。聴覚の出来事を伝えるのもまた、難しい。

こないだ、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を読んだ。
パズルのようなストーリーで、読み進めていくごとに、パズルがはまっていく感じが面白かった。

高山宏さんの『黒に染める』か『アリス狩り』だったかで、『そして誰もいなくなった』を論じている文がある。
その感覚がとても好きで、何度か書こうとしたけど、うまく書けずにいる。
なんだな、あれだ、結局、読んだ本のことだって、うまく書けたりしないんだ。

とにかく、その文を思い出して、It's a small world を思い出したわ、小さな世界。限られた世界。隣の人と触れ合う事を恐れる世界。

歌を聞いて、感動して、どうにか言葉にしようとしたけど、うまくいかなかった。うまくいかないことを考えていたら、高山宏さんのことを思い出した。
頭の中は、逆引き辞書みたいで、うまくまとまろうとしてくれない。
会話が五十音順にキャッチボールできるなら楽なのに、と思う。

電車で眠る女性の頭が肩に寄りかかる。
髪の毛から懐かしい香りがする。
なんの香りだろう。思い出そうとするたび、涙が出そうになる。悲しい過去じゃないはずなのに、過去を思い出そうとすると涙が出てきそうになるのはなぜだろう。

サリンジャーの『コネチカットのひょっこひょっこ叔父さん』という短編の最後。
わたし、いいこだったわよね
と書かれている。
あらゆる記憶。本当にあらゆる記憶が蘇った時、必ずその言葉を口に出すことなく、つぶやいている。
わたし、いいこだったよね、と。

記憶の映像を細かく書いたり、感傷を断片的に連ねることは、それほど難しいことじゃない。
記憶ってそんな風なもんだと思うから。

もうすぐ歳終わる。
一年を振り返る。一年を振り返るついでに、毎年生きてきた今までのことも振り返る。

宇宙の時間で換算したら、僕の生きた時間など、呼吸の断片にすらならない。一瞬。刹那の出来事。だから記憶が混濁してしまうのも無理はない。物事は重なり合っている。
脳みその中に一度格納されてしまえば、シュレーディンガーの猫が死につつ生きてるみたいなブラックボックス
物理学者の天才たちが重なっているというのだから、それに追随するだけ。

薄羽蜉蝣の一生を儚いもののように例えてしまう。本当に儚いのは、そんな風に時を刻むことでしか生を測れなくなってしまった、人間の知性だ。

今年は、反知性主義、という言葉が賑わった。
しっかり調べたわけじゃない。もちろん。うまく書けない。
ともかく、イデオロギーはなんであれ暴力装置なのだと思う。

知性は時として、原爆のスイッチを押させようとし、反知性は無差別な虐殺を生み出す。
じゃあ、どうしたらいいの?と問う。
まあ、程よくね、と返される。

そんなことは、戦争をする前からやってたんだけどね。正義のために戦おう、って言ってなかったっけ?正義のために!って。

ペンを武器にして、誰かに剣をもたせてる。
肉を食べながら、ライオンに襲われた鹿をかわいそうだ、という。ミンチにすり潰した肉を食べながら、テレビのドキュメンタリーなんかを見てるんだ。

クジラを食べるな、といったりする。
私は菜食主義、殺生はしないとか。そりゃあ。自慢げに。
植物に命が備わっていない、と区分けしたのはなぜなのだろう。

生物と無生物のあいだ、と分けてしまう人間ほど、虚しいものはない。道端の石ころを手に取り、神仏のように崇めていたのは、そんな昔ではない。重なり合っている。全部同じ瞬間。

山形の朝日町には空気神社というのがある。神は何もない。
その空気は、今、目の前にも繋がっているやつだ。

走ってる時、鼻から空気が入ってくる。あの匂いは、神様なのかもしれない。
だったら、仕方ない。書き表せなくても。

フラニーとゾーイー』の中で、太っちょのおばさまが、神様なんだって言ってた。
彼女が口ずさむ鼻歌みたいなやつ。パーマネント液の匂い。

腰痛持ちの湿布。薄汚れた作業着の加齢臭。汗が発酵したロッカールーム。本の印刷の匂い。

めんどくさいから、それらを2015年は神と呼ぶことにした。
来年はもう少し書くのがうまくなりたい。

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

美容文藝誌 髪とアタシ 第三刊「考える髪」

美容文藝誌 髪とアタシ 第三刊「考える髪」

新編 黒に染める―本朝ピクチャレスク事始め

新編 黒に染める―本朝ピクチャレスク事始め

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

異端児の城

異端児の城

  • 青谷 明日香
  • ポップ
  • ¥200

『飛行蜘蛛』とジュンク堂大阪本店

年末年始は帰省する。今年は雪が少ないようなので、車を運転できる。なので、車で友人の店に行くつもり。そこで、お土産を買おうと思う。

山形、といえばさくらんぼ、と答える人がほとんど。山形のどこ出身?と問われると、米沢あたり、と答える。米沢牛だね、と言われる。本当は、南陽市、と言うと、知らない。と言われる。
ちなみに米沢牛は飯豊出身がほとんどなんだ、と心の中で思う。

たまに、南陽市のことを知っている人がいる。赤湯温泉でしょ、とその人たちは言う。そこまで来たら、そうそう、と素直に頷くが、ちょっとだけ後ろめたい。最寄駅は第3セクターフラワー長井線、梨郷駅。1997年くらいまで、携帯電話の電波はドコモしか入らなかった。赤湯とは桁違いの田舎。

梨郷駅には1日5本くらい汽車が通る。長くて3両。朝夕の通学時間だけ、3両になる。
ディーゼルの煙が冬になると雪景色の中に映える。冷たい朝にフラワー長井線の使い古された車両が、雪を掻き進む。

梨郷は4つの部落に分かれている。梨郷と呼ばれる地区は、西側に広がり、面積が大きい。
置賜盆地の北端は、水捌けの良い丘陵地帯で、スイカ栽培が盛んだ。
この周辺の西瓜はほとんど山形県外に出ることはない。瑞々しく甘いこの西瓜は、お盆を越えると瑞々しさを失ってしまい、甘さも美味しい甘さ、というよりひつこさを少し感じる。
持ちの悪さからか、ほとんどが山形県内で消費される。

梨郷駅がある竹原は、部落の中心地になる。五軒ばかり店が連なる。
小中学校が隣同士にあり、グラウンドを共有して使っていた。
2010年に中学校は閉校した。

山の麓には梨郷神社がある。毘沙門天を祀っている。9月の3連休にはお祭りが行われ、青年団が獅子を担いでその辺を練り歩く。
ちょうどその頃、赤湯温泉にほど近い烏帽子山八幡でもお祭りが行われる。
1980年代は景気も良く、赤湯温泉にも梨郷神社にもテキ屋の兄さんたちはやってきていた。
今では梨郷神社に来るテキ屋はあまりいないらしい。

梨郷神社の参道は農道と兼用で、南陽市一周駅伝のコースだった。その道は、山へ行く途中の道で急な登りになっていた。梨郷神社の鳥居を背に、南の方角を見ると、置賜盆地の田園風景が見えた。南端には米沢市街地が微かに見える。市街地の背後には大きな吾妻山が聳えている。

雪が降る頃、空から糸が降ってくる。その糸は、ゆらゆらと揺れながら、光に輝く。天女の絹糸のようなその糸をこの辺の人は、雪迎え、と呼んだらしい。

空から降ってくる糸を掴むと、糸は、ぱさりと落ちて見えなくなる。糸は絡むように腕の中へと溶けていく。
糸の溶けた腕は、少しだけ寒くなる。血管が凍え、手足の先が冷たくなる。

糸は雪を運ぶ。生きているものか、鉱物のような類のものか、よく分からない。それ自体には温度があるわけではないが、それが溶けて一体となったものは冷たくなる。

糸が溶けた大地は急激に冷えていき、霜が降り、空からは雪が降ってくる。それから3ヶ月から5ヶ月にかけて、長い冬が続く。

温度を奪われた大地には、草木が育つ事はない。冬の期間、人は漬物や干物を食べて過ごす。

とはいえ、雪迎えの糸をこの辺りの人はみな、歓迎していた。その糸が多く降ると、雪は深くなったが、蚕の繭はたくさん育った。
雪迎えの糸は、桑の木に溶ける。
蚕は桑の葉を食べる。その年の絹は光に解けるように美しく、冷気に強い。
まるで、蚕には雪迎えの糸の抗体があるかのようだ。

春を迎える頃、再び、糸は空に舞う。それを雪送り、と言った。糸は大地から冷気を奪い去り、空の太陽は暖かく感じられるようになる。
草木が芽生え、春が訪れる。

大地に溶けた糸が、空へ帰る。
どこかに雪をもたらすために、風に吹かれる。

古くは、万葉集にも記載があった。海外でも同じような現象が起きている事がわかる記載がある。シェイクスピアリア王で言及されている。
それらの糸を歌人たちは、糸遊、遊糸、などと呼んだ。
イギリスではゴッサマーと呼ばれていたようだ。


1914年に山形県山形市で生まれた錦三郎は、梨郷小学校の校長を務めたこともある。彼は、赤湯の大谷地と呼ばれる特異な湿地帯で、蜘蛛が空を飛ぶ姿を研究した。
それこそが、天女の絹糸であり、遊糸であり、ゴッサマーだった。

錦三郎が書いた『飛行蜘蛛』は、「雪迎え」を考察、蜘蛛が空を飛ぶ瞬間を観察、文学作品の飛行蜘蛛を研究、と理系文系が混合する。

文学作品の中で用いられる遊糸は、儚く脆い象徴、幻のようなものとして用いられてきたようだ。
一本の糸が空に舞っていても、それに気がつくことは少ない。ふとした光の傾きでその糸が見えたとしても、それが蜘蛛の糸だと気がつく人は少ないに違いがない。

錦三郎の『飛行蜘蛛』は、山形の八文字屋書店で買いたかったけど、なかった。

ジュンク堂大阪本店には、生物の研究をしていた方がいる。その方にお聞きすると、古い本だけど、ちょくちょく売れていきます、と教えてくれた。
手渡された『飛行蜘蛛』を持ち、レジへ向かう。

今頃、雪迎えの糸が空から降っているのだろうか。

飛行蜘蛛

飛行蜘蛛