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本のこと、はしること、山形県のこと。

本と本屋さんのことを中心に書こうと思ってます。走るのが好きです。山形県出身です。内容をちょっとづつ調整していってます。

『生きとし生ける空白の物語』と北緯38度線

国道113号線のすぐ近くで育った。
小学生か中学生のころだったと思う。国道113号線は、北緯38度線をなぞるように、日本海と太平洋をつないでいる、と担任の教師が言った。国道113号線は、国境になりえたのだ、と。

厳密に言えば、それは国境ではなく、軍事境界線だった。
国道113号線の北側に生まれた。初恋の女の子は、国道113号線の南側に生まれた。南北を分断したら、彼女のことを知らずに大人になったのだろう。

高校時代、陸上部に入部した。春と冬の合宿は、雪が少ない福島県楢葉町へ行った。陸上部には女子部員がいなかった。他校と合同で行う合宿は、女子と交流できる数少ない機会でもあった。それでも、合宿を楽しみにする奴など誰一人いなかった。合宿は、地獄でしかなかった。
合宿の後半に準備された、緩い練習メニューの日がある。高校2年の春だったと思う。海辺の淵にある天神岬公園へ行き、他校の女子部員と一緒にサーキットメニューをこなした。
福島県浜通りの冬は乾燥して、よく晴れている。太平洋に反射する太陽の光は、視界を突き刺すように輝く。
女子部員とろくに話することもなく、天神岬公園をグルグルジョギングをした。奥羽山脈の東側では大雪だと天気予報は言っていた。

大学は福島県いわき市へ進学した。
楢葉町から国道6号線を南へ向かった土地。大学へ進学したら女の子と付き合ったりするんだろうと思っていたのに、結局、誰ともお付き合いする機会に恵まれなかった。
走ってばかりいた。
大学1年の冬、国道6号線を北上して、かっての地獄だった楢葉町まで走ることにした。夜中に出発した。真っ暗な闇の中で、自分の足音が聞こえる。海辺の波の音が聞こえる。時たま通る車のヘッドライトが闇を照らす。
夜明け、東から昇る太陽は、高校時代と同じように、とてつもなく眩しかった。輝いていた。乾いた空気がどこまでも光を透過させていた。

大学3年の時、国道6号線を南へ向かった。ひたちなか市の友人の家まで走った。およそ100キロほどだった。
日立市に着いた時、もうすぐたどり着く、と自分を奮い起こした。日立市を越えた後たどり着いたのは東海村だった。

大学4年の時、アメリカ同時多発テロが起きた。テレビから流れる映像は映画のようだった。

空白。
真実から背を向けないと生き抜けない、記憶の塊。
大学卒業後、上京した。かつて、とかたり出そうとする記憶が、要領よく編集をする。

2011年3月にそれらの虚構が押し寄せてきて、何もしないまま、立ち止まった。これまでも、これからも、空白に立ち向かえない弱さを目の当たりにして、毎日、歯を磨き、風呂に入り、ご飯を食べて寝る。
山形の祖母は年々身体が弱り、記憶を失っていく。真っ白な頭だ。帰省するたび同じ話を繰り返す。

北緯38度線から数百歩北へ向かう。歩いて1分、走って30秒。
低い山の裾にある実家の家の犬が今年死んだ。北緯38度線から数千歩。歩いて5分、走って2分の場所に住んでいた初恋の女の子は嫁いでここにはいない。
サクランボの木がそのあたりにはたくさんある。

国道6号線をつなぐ、原子力発電所。乾いた風がもう直ぐ吹き始めるのだろう、と夏の終わりに思い出す。
近頃はめっきり寒くなって、晴れ間が美しい。
東海村双葉町も夜空の星が手に届くような場所だった。朝日はさ、体を透過していくほど輝いているし。

あのあたり。コンビニエンスストアにはいると、いつもaikoの歌が流れていた。無邪気に鼻歌を歌ってさ。暗闇のなかを、朝日のなかを走り抜けようとしてさ。覚えてるのは、それだけ。あとは、思考停止する。

関東出身の上司が2011年の夏に東北へ旅行へ行った。

空白。

『生きとし生ける空白の物語』。
空白にはすっぽり自分が入る。
空白を知ることは、自分の体に傷をつけるようなものだ。
空白を知るために、記憶をぶつける。
痛い、あ、ここには空白と記憶の境目がある、っていう感じで。縁日の型抜きみたいだ。一度も成功したことのないやつ。難しいやつだと1000円もらえるやつ。いつも、緊張して、手が震えて、パリって割っちゃうやつ。

高校の卒業式の日、中学時代の友人たちと、国道113号線を西に向かった。
海に沈む夕日を見て、今だ食べたことのなかった吉野家の牛丼をみんなで食べた。

ここは、東洋のアルカディアだ、とイザベラバードは僕の故郷のことを言った。僕は夢うつつでアルカディアから東京へ向かった。
東京には吉野家がたくさんあった。

生きとし生ける空白の物語

生きとし生ける空白の物語