本のこと、はしること、山形県のこと。

本と本屋さんのことを中心に書こうと思ってます。走るのが好きです。山形県出身です。内容をちょっとづつ調整していってます。

「ロッキンオン」と鹿島ブックセンター

僕は世界に数百人しかいない。もちろん、希少価値は高い。

世の中には、君は世界に一人しかいない、という人がいる。
世界の人口はもうすぐ100億人になる。100億分の1の確率で僕が存在するほどの存在ではない。僕はこの世にいる数百人の僕に出会うことはできないだけ。

もしも会いたいというなら、2個方法があるらしい。
重さを失うか、光よりもずっと早く走るか。

1980年に僕は3人くらい生まれた。1981年には6人、1982年は105人になり、1983年には、138人が生まれ、3人死んだ。

1980年5月に僕の知る僕はイアン・カーティスが死んだ世界で泣いていた。僕は赤ん坊で、泣くことしか知らなかったから、泣いていた。

その年、ジョン・レノンも死んだ。その頃になると、僕は泣き止むことを覚えていた。
イアン・カーティスの死で世界は泣かなかった。ジョン・レノンが死んだ時、世界は泣いた。
僕はイアンの時に泣き、ジョンの時に泣き止んだ。生まれながら、世界と逆行するように運命づけられてたのかもしれない。

1980年に生まれた僕の中の1人は、イアン・カーティスの訃報を知らなかった。もし、1970年に生まれていたとしても、僕の生まれた土地では、イアン・カーティスが自殺したことを知る術はなかっただろう。

生まれてすぐ、愛が僕を切り裂き、僕は3人生まれた。
一人は母によって、一人は父によって。

父は日々の仕事に飼いならされても、気力を失うことはなかった。
やけに寒い寝室で、母は僕に母乳を飲ませた。もうすぐ東京では夏だというのに、山形はまだ遅い雪が降っていた。

僕は寝言で父と母の名前を叫んだ。けれど、父の名前を知らなかったし、母の名前も知らなかった。
言葉も喋れなかったので、2人は僕が怖い夢を見て泣いているのだと思った。真っ暗な寝室で2人は、僕の顔を覗き込んだ。

2人は泣いている僕を見つめて夜を過ごす。父は間もなく眠りにつき、母は朝ごはんを作るために台所へ向かった。

ようやく、遅い春が山形にやってきていた。
いつもなら、遅くてもゴールデンウィークの最中には桜が満開になる。けれどその年は、5月の中旬まで桜は咲かなかった。雪は田んぼの上に残っていて、早朝には氷が張ることもあった。
NHKの天気予報では、観測至上初めてのことだと伝えた。

イアン・カーティスが死亡した日、山形のニュース番組は韓国の光州事件を取り上げていた。
光州事件は、5月27日、政府により鎮圧される。死亡者は170人だと発表された。

その年日本では21,000人が自殺した。そのうち、学生は600人ほどだった。彼らの中で、名前をニュースで伝えられたのは3人ほどだった。

1980年、イアンとカーティスに引き裂かれた彼は、分裂したまま死ぬことを選んだ。僕の知る歴史では、イアン・カーティスはその年世界から消えた。残りのイアン・カーティスがどうなっていたか知る由も無い。

世界に僕は1人だけではない、と気がついたのは、後年、分裂したイアンとカーティスの面影を僕は見つけたからだ。
僕が初めてイアンに出会ったのは、1989年だった。
その日、僕は小学校のグラウンドで徒競争をしていた。その年の5月は平均的な5月で、ゴールデンウィークの最中に桜の花は散った。

グラウンドから見える小高い山の斜面には、遅咲きの山桜が咲いている。針葉樹の青々とした葉に混じり、未だ葉の育たない広葉樹の枝が見える。その中にポツリポツリと山桜は咲いていた。

空には雲があって、雲の先端は山に隠れていた。その頃、山の奥には崖があり、そこで世界が終わるものだと思っていた。そして、世界の終焉から流れてくる風にイアンはあった。
実際、それがイアンだと知ったのはそれから10年後のことだった。

大学に入り、福島県で一人暮らしをすることになった。僕は、ロッキンオンという洋楽雑誌の中で、イアンを見つけた。イアンは2人いた。1人はI Wanna Be Adoredと歌った。もう1人のイアンは、僕が父と母の中で名前を叫んでいた頃に自殺したイアンだった。彼はlove will tear us apart againと歌っていた。

その時、かすかに感じたのだ。僕らは唯一の存在ではないのではないか、と。僕は歌を歌い、本を読み、詩を書いた。何日も走り続け、何日も酒を飲んだ。

それで、僕は分裂していく僕を見つけた。

日陰になった部屋で洗濯物を干す僕は、日向の道路を知らない女性と歩く僕を見た。
窓の目の前は小高い丘になっていて、その裏側には国道6号線が走っていた。
僕はその時、その丘の向こうが世界の終焉ではないことも知った。丘の裏へと歩いていく僕は楽しそうだった。

10年前、世界の終焉から流れてきたと思った風は、終焉ではなく、もう一つの世界だった。だからと言って、僕はその世界へは行けない。僕の知る僕の世界は、確かにそこで終わりを迎えていたから。

世界の数百人の僕は、何人か生まれ、何人か死ぬ。僕はそれを知ることはできない。僕は僕に出会おうとするたび、世界は僕の視野の中で終わりを告げ、数百人の僕らは、すれ違うことしかできない。

僕は、洗濯物を干し終えた。
その日はバレンタインデーだった。僕は女性を知らなかった。大学時代を過ごした福島県いわき市は、冬になるとよく晴れる土地だった。
乾燥した風が僕を突き刺す。僕は手をつなぎ、楽しそうに女性と歩いて行った僕を羨ましく思った。

その日、自転車でいわき市の浜辺を回った。100キロくらいあっただろう。浜辺には車が数台必ず停められていた。その車には、男女のペアが乗っていた。二人は海を眺めている。

日が落ちた。小名浜港から鹿島街道で北へ向かう。途中、鹿島ブックセンターでロッキンオンの最新号を買った。イアン・ブラウンが表紙だった。
ソロになって初めてのアルバムが発売された。その歌を僕は聞かなかった。