フジファブリック『若者のすべて』と川内倫子『花火』
記憶の中で一番古い花火大会は、山形県朝日町の上郷ダムの花火大会だ。その花火大会では、最後のクライマックスにナイヤガラの滝がダムいっぱいに打ち下ろされ、5尺玉が盛大に打ち上げられる。それは、お決まりだった。
小学校くらいにその花火大会は終了した。中学、高校になるといけてる奴らがいけてる女子達と花火大会へ行っていたらしいが、僕は近所を走ってた。ジョギングの最中に遠くで打ち上げられる花火を見ていた。
高校三年生の夏、山形県長井市の花火大会を見に行った。彼女のいる奴らは彼女と見に行ったらしい。男子の燃えカスみたいな僕らは、男6人でワゴン車に乗って見に行った。
会場には、男女のグループが華やかな出で立ちで練り歩き、わー綺麗、とかすごーいとか言っていた。その日、僕らは花火なんか見てなくて、すれ違うグループに女の子がいるかいないか、女の子が可愛いかどうかだけ見ていた。
妬み嫉みの塊になった僕らは、ストレスフルで帰りのワゴン車に乗り込む。渋滞で動かない車の横を自転車で駆け抜けていく、男たちグループ。彼らはゆるゆると動く僕らを見て、おせーな、とか、邪魔だ、とか言って挑発する。間違いなく、あいつらも妬み嫉みなんだろう。
今度は、僕らの車が緩やかに彼らに並んぶ。並んだ瞬間、友人が扉を突然開き、自転車の妬み嫉みに向かい罵声を浴びせた。奴らは挑発に乗った。開いた扉から車に乗り込もうとする。
互いの妬み嫉みが一触即発になった瞬間、運転手は全力でアクセルを踏み込み、逃げた。遠くなっていく妬み嫉みに、僕らは罵声を浴びせた。
帰り道、一言も発せずに静かになった僕らはカセットテープから流れてくる歌を聴いていた。なんの歌だったか覚えていない。
誰か口ずさんでいた。
それでも、誰も互いに一言も話そうとはしなかった。
幼馴染の女の子の家の前を通り過ぎる。彼女の部屋の明かりは付いていない。彼氏と花火大会を見に行ったのかもしれない。
ないかな ないかな やっぱりいないよね
あったら 言えるかな 瞼閉じて浮かべているよ
『若者のすべて』フジファブリック
たぶん、あの日、僕らはそれぞれ好きな子がいたんだと思う。彼女たちは別の誰かと一緒に花火を見て、きっとどこかのホテルへ行ったんだ。
それは別に普通で、怒っても仕方がないことなのに、その事実が許せなくて苛立って、虚しくなってた。
そんな風に感じてることがかっこ悪くて、誰にもそんなことが言えなくて、互いが互いの好きな子を黙って探してたんだ。
いないよな、いないよなって。
きっと、会えたとしても僕らは片手を上げて不細工な笑みを浮かべるだけ。
瞼の裏ではあんなにフランクで愉快な男なのに、本当の僕らは燃えカスというより湿気った花火みたいだったから。
あれから20年くらい経て、あの時、好きだった女の子とも連絡がつかなくなった。
僕は結婚して、子供が一人いる。
東京都と神奈川県の境目の二子玉川の花火大会を今年は見に行った。
フジファブリックの『若者のすべて』を最近YouTubeで見つけた。
最後の花火に今年もなったな、というところだけ、耳に聞こえてきた。ずっと好きなのに、映像が浮かばなかった川内倫子の『花火』のイメージが脳裏に浮かび上がってきた。
あの日、彼氏と一緒にホテルに行って、一生を誓い合っただろう彼女たち。誓いなんてものを何も信じてなくて、ただ今に身を任せていた彼女たち。男たちにとっては、花火大会なんて儀式でしかなくて、大概はホテルへ連れてくための口実だった。
どうせばれてるんだ。でも、みんな必死に取り繕って、彼女たちをホテルに誘う。彼女たちもうっとりした表情で頷くんだ。まるで、花火が打ち上がった美しい瞬間に、世界が永遠に時を止めてしまったかのように。
僕ら燃えカス6人とも、本心とも建前とも分からない、彼女たちの表情を思い浮かべてた。
それが、僕の『花火』の景色だった。
- 作者: 川内倫子
- 出版社/メーカー: リトルモア
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山形県長井市には八文字屋書店があった。本とは程遠い生活を僕は歩んでた。今なら、どんな風にあの本屋さんを思うのだろう。
八文字屋書店は山形県に本の文化を流通させる最後の砦のようなものなのだから。