丸善 京都本店と『スローカーブを、もう一球』
先月丸善京都本店がオープンした。
先月といえば、8月。夏だ。京都市内は、山で囲まれた盆地になっている。京都の夏は暑い。
街からは山の斜面が見える。空と山を分ける緩やかな山の曲線が、曇り空の京都に描かれている。
スローカーブを投げる時の自分をイメージすると、自分の手を離れてゆらゆらと本塁に向かっていくボールがまるで自分のように思え、妙に好きになれるのだった
『スローカーブを、もう一球』
山の曲線はゆらゆらとビルの背後に消えていく。ビルとビルの間、切り取られた景色によって、山の全体を想像する。
丸善京都本店のあるBALの向こう側にあるだろう山は、大文字山なのか、比叡山なのか。方向音痴なのでどの方角を見ているのか分からない。
自分の視線が緩やかな放物線を描いて、どこかへおさまる。キャッチャーミットを目指すスローカーブのような曲線をイメージしている。
それは、山の曲線と似ている。
去年の甲子園だっただろうか。
超スローカーブを投げた投手が話題になった。相手の虚をついて山なりにキャッチャーミットへおさまるボール。打つ気を削がれたバッターは、緩やかな放物線をじっくりと眺めている。まるで、今日の僕みたいに、曲線のたどり着くところを探している。
見送ったバッターはきっとニヤリと笑ってしまうんだろう。たぶん、スローカーブを投げた投手も。
球審は、その球を最後まで見届けると、うなずくように「ボール」と宣告した。 川端はスローカーブを投げたあと、いつもニヤッと笑いたくなってしまう。 ストライクが入ったときは、たいていそうだ。
『スローカーブを、もう一球』
丸善京都本店は梶井基次郎の『檸檬』で溢れていた。
お話をしてくれた書店員は、大の甲子園好き。『檸檬』は本に積まれた爆弾ではない。彼の『檸檬』は、女子マネージャーが甲子園を目指す高校球児に差し入れする、蜂蜜に漬け込んだ『檸檬』なんだろう。
女子マネージャーに差し出される蜂蜜『檸檬』は、甘酸っぱい。
今年の夏、一緒に甲子園へ行こう、と彼女は言う。たいがい、彼女はエースや四番打者と付き合っている。もう、叶わない恋。あいつは、夏が終われば、プロ野球の球団に入るだろう。いい奴だし、諦めるしかない。俺たちの野球はきっと高校で終わってしまうだろうし、と。
1980年の秋、山際淳司は高崎高校のスローカーブの曲線を描いた。
書店員さんの高校野球の話を聞きながら、店内に置かれた檸檬の黄色い色が目の端に映り込む。
どこからともなく、女子マネージャーの声が聞こえ、蜂蜜『檸檬』の味を想像する。
スローカーブをもう一球。
今年の夏はもう終わり、永遠に帰ってこない。
野球部を引退した高校三年生達は丸善京都本店にきて、参考書を買い求める。
ふと見ると『檸檬』が置かれている。一人が手に取り、もう一人が構える。少しだけ、参考書のことを忘れ、『檸檬』でキャッチボールをする。
書店員が声をかける。
こちらで、キャッチボールはやめてください、と。
- 作者: 山際淳司
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