本のこと、はしること、山形県のこと。

本と本屋さんのことを中心に書こうと思ってます。走るのが好きです。山形県出身です。内容をちょっとづつ調整していってます。

『ポアンカレ予想』とジュンク堂天満橋店

仕事のことを考えてる。息苦しくなって、思考が止まる。頭が止まる。

生きている時間から、うまくいっている時間だけを集積しても、1日に満たないんじゃないか、と思う時がある。大抵の時間は停滞の中にいる。停滞は悪いもんじゃないけど、もう少しばかり、明るい未来が見えてもいいんじゃないのか、って思う。少年時代みたいに。

頭が止まってしまったので、YouTubeを開く。頭がグルグル動き出すように、とGurugle earth を検索する。
頭が止まってしまったら、世界が止まる。宇宙が止まる。

ヴィトゲンシュタインは、「わたしの世界の限界は、わたしの言語の限界」と言った。だから、いつまでもグルグルグルグル動かないと、世界の限界が目の前に来てしまう。

グルグル動く脳みそは、グルグル島にたどり着く。グルグル島は普通の街で、少しだけ時代遅れだ。みんなの持っているテレビはブラウン管だし、携帯電話は肩からかけている。
そのくせ、ブラウン管のテレビは、インターネットにつながっているし、携帯電話は永久電池で動いている。

グルグル島にはいくつも解決できない謎がある。島民はみなその謎を受け入れて生活している。けれど、やってくる人たちはグルグル島の謎に直面すると立ち尽くしてしまう。

例えば、絶対に追い抜けない亀がいたり、死んでいながら生きている猫がいたり、嘘つきしかいないエリアがあったりする。とにかく、解けないもので溢れている。

グルグル島の南は断崖絶壁になっていて、そこから誰も上陸できない。島一番の港は西側にあるが、船の数はそんなに多くない。宿が5軒、重要文化財ぎ25個、絶景ポイントは35ある。
観光地としての収入がGDPのほとんどを占める。
グルグル島には、一つの島があって、その島を囲むように川が流れている。島の中の島の名前はグルグルグルグル島という。グルグルグルグル島には、周囲を囲むように7つの橋が架けられている。その島には25個ある重要文化財の18個が存在しわ絶景ポイントは35個あるうちの30個を占める。
いわゆる、島の8割の価値がその島にはある。

それにもかかわらず、グルグル島には旅行代理店が一軒しかない。完全な独占企業だ。お金はたくさんあった。

その旅行代理店のオーナーは、ある時、有名な数学者に手紙を出した。

グルグルグルグル島への画期的な旅行を考えてる。それは、同じ橋を二度渡ることなく、旅行者を案内するという旅行なのだ。とても効率的だが、いくら考えても必ずどこかの橋を二度通らなければならない。なんとか、出来ないだろうか、という内容の手紙だった。

数学者は、ため息を吐く。
手紙をゴミ箱に捨てる。

わたしの脳みそは、崇高で気高い数学の問題に使うべきで、こんなくだらない世俗的な話に使うべきではない、

と。

それから絶えず、グルグルと頭を働かした数学者の名前は世に広まった。その度何度となく、グルグル島へ旅行した。けれど、島を散策しては、すぐに戻った彼が、一度もこの旅行代理店のことを思い出すことはなかった。

数年が経った頃、数学者は大きな問題とぶつかった。彼の頭は人生で初めて止まりそうだった。
彼は、世界が止まらないように、とグルグルアースを聞くことはできない。まだ、やくしまるえつこは生まれてなかったし、d.v.dだって当然生まれてなかった。

だが、彼はグルグルアースを聞くことができるようになる。ある一つの数式が彼を超え、時間を超え、距離を超えてしまったから。

とにかく、頭が止まりそうになった彼は、グルグル島へ迷い込む。
7つの橋を見て、ある日送られてきた封書を思い出す。彼は思う。
まだ、その旅行代理店は営業を続けているだろうか、と。
数学者はグルグル島で旅行代理店を探した。お店はすぐに見つかった。

お店には、両脇にしか髪を残していない初老の男性がいた。おそらく、彼が手紙をくれたのだろう。
数学者は話しかけた。

昔、この島の橋を二度渡ることなく、7つ渡れる方法を教えてくれ、と手紙を出しませんでしたか。

初老の男は目を輝かせる

なんと!著名な数学者のあなたが、わたしのことを覚えていてくれたとは、

と、椅子を出してくる。そして、座るよう促した。彼は勢いに押されて座り、初老の男からの眼差しを受けた。

未だにうまくいかないんですよね。

と初老の男は言って、グルグル島の地図を目の前に出す。数学者はその地図を見下ろした時、ゴミ箱に捨てた手紙が、今、頭を抱えている数学的問題と同じ問題であることに気がつく。
片手を口に持ってきて、彼は初老の男に伝える。

これはとても困難な数学的問題です、と。

数学者は立ち上がり、店を出て歩いた。グルグルグルグル島へ向かう。俯瞰して島を見ると7つの橋は全て見えた。一番遠い橋は、霞んでいた。一番近い橋はすぐそこにあった。

男は一番近い橋を渡る。グルグルグルグル、島を周り、いつの間にか夕刻になった。ふと、一つ答えが出てきた。この島を一筆書きで渡ることはできないのではないか、と。

数学者は、グルグル島のグルグルグルグル島をめぐる一筆書き問題、という名前で、Webに論文を掲載した。しかしすぐにロシアから反論がきた。

貴殿の論文、「グルグル島のグルグルグルグル島をめぐる一筆書き問題」につきまして、と言うタイトルのメールだった。数学者は嬉々とした気持ちでそのメールを開く。
恐らく、数学界史上、ナンバーワンの発見である、という賛辞。美しい論文に打つうっとりする賛辞が寄せられていると思った。

しかし、そこに書かれていた内容は、すでにこの問題がオイラーによって提唱されている、という事実を告げるものだった。数学者は驚いた。オイラーだって?いったいいつの時代の男なんだ、と。

数学者はインターネットを調べる。1736年にロシア連邦のカニーリングラード州の州都、ケーニヒスベルクにおける問題と同じであった。
男は驚いた。ひどく動揺して、メールの返信を書いた。
だが、世の中はすでに彼にとってよくない方向に進んでいた。
彼は盗作者となった。ニュース、学会で彼の名前は盗人のように扱われた。大学から呼び出され、論文の趣旨を聞かれた。彼は苦し紛れに答える。

もちろん、オイラーのことは知ってましたし、ケーニヒスベルクの一筆書き問題も知っていました。けれど大切なのはこの後です。この一筆書き問題、本当は、可能である証明を次でしようとしています。論文はすでに8割がた終わっています。まさか、こんなに早く皆さんが騒がれるとは思わずにいました。オイラーはすごいですね。

大学は、そうならそうと言ってくれたらよかったのに、と笑って答えた。一時間もしないうち、大学は声明を出す。

あと、一ヶ月もたたないうちに、この一筆書き問題の続編が出る。それが出れば、彼の言いたかったことは分かるはずだ。だから、それを楽しみにしていてくれたらいい、

と。
一ヶ月だって、と数学者は驚いた。
彼は再び、グルグル島へ向かう。グルグルグルグル島を回っていると、奇妙な感覚になる。

一ヶ月後、彼は一つの数式を発表した。それは一筆書き問題を解決する数式だった。
その数式は、宇宙を限りなく小さくした。僕と君の距離も小さくした。
宇宙は限りなく一つのものになり、あらゆるものに差が生まれなくなった。
彼は、やくしまるえつこd.v.dのライブとラフマニノフの演奏を同時に聞けた。むしろ彼が、やくしまるえつこであり、d.v.dであった。
彼は数学者であり、旅行代理店であり、大学であり、ロシアの反論者になる。彼は数式によって、何者でもなり得るようになった。また、どこへでも行けたし、時間も自由に行き来できるようになった。


グルグルグルグルグルグルグルグル。

頭は回って止まらない。
数学者なんてどうでも良いのに、ケーニヒスベルクの問題ばかりがきになる。『ポアンカレ予想』を読んだからだ。ジュンク堂天満橋店で面陳されていた本を本屋さんに教えてもらった。面白いよ、と。

頭の中でグルグルグルグル、ケーニヒスベルクの街を散策してみる。メビウスの環、クラインの壺ケーニヒスベルクに行かないで、ケーニヒスベルクを散策する。今よりも高い次元でないと理解できない出来事を、高い次元でもないのに考えている。

グルグルグルグル、ケーニヒスベルクを散策している。頭が止まらないように。世界が止まらないように。

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

グルぐるあーす

グルぐるあーす

『ある夢想者の肖像』と誠光社






恵文社一乗寺店で店長をしていた方が、丸太町に本屋を開いた。
屋号は誠光社。

お店は河原町通りと丸太町通りの交差点の近くにある。大通りから一本入った通りにあった。

夕暮れとも夜とも言えない時間、その界隈は光が落ち、薄暗かった。
人通りも決して多いとは言えない場所に、誠光社の店の光は灯っていた。

お店には、2、3組のお客さんが本を選んでいた。お店は20坪もないだろう。本棚に並べられた本が互いに向きあっていた。本を眺めるにはちょうど良い広さだった。

Amazonという本屋が現れてから、無駄な時間を削り、効率的に本を買うようになった。戸惑い、悩み、彷徨うことを嫌がるように、パソコンやスマートフォンの光を点け、検索ボタンにキーワードを入力し、クリックする。
記憶させたクレジットカードのナンバーで支払いを済ませ、光を落とす。それから、テレビドラマを見る。

リヴィングに横になり、手持ち無沙汰になる。夕ご飯までは時間がある。何もすることがないや、と目を瞑る。耳にはテレビドラマの声が聞こえてくる。

こないだ、宮崎あおいが好きだって言ってたんだよね、とAmazonから届いた包みを開ける。妻は、なんてタイトル?と尋ねる。

『強運の持ち主』。瀬尾まいこって人が書いたやつ。
瀬尾まいこって駅伝の小説書いてた?
それ、三浦しをんじゃない?『風が強く吹いている』。
そうだったかな。瀬尾まいこって人だったと思うよ。

そう言って、スマートフォンの光をつける。グーグルにアクセスして、検索する。

あ、あった。『あと少し、もう少し』ってやつ。
それそれ。でも、グーグルの検索から出てきた『あと少し、もう少し』はクリックされず、スマートフォンの光は消される。

誠光社には一組のカップルがいた。同い年くらいだろう。彼女は棚の間をぼんやりと見ていた。男性は、奥の方から小走りに彼女に近寄る。
ねえ、と声をかける。
この本知ってる?と。
手に持っている本のタイトルはわからない。たぶん、瀬尾まいこではない。

文芸の棚の前で、スティーブン・ミルハウザーをみつけた。二人の声が真後ろにある。『ある夢想者の肖像』。分厚いハードカバーの背表紙がドンと置かれている。手に持つと重い。

この本、知ってる、と女性の声がして、これもそうだよ、と男性は答える。二人は二冊ほど手に持ち、レジに運ぶ。店主と軽くお話をしている。声はあまり聞こえない。

二人は店を出た。お店のなかには、一人だけになった。
『ある夢想者の肖像』をレジに運ぶ。
好きな本をちゃんと売って続けられそうだ、と店主は言われた。

小さな店は個性が出る。
全ては揃わない。クリックすれば、あらゆる知識にアクセスするAmazonとは違う。

『ある夢想者の肖像』の前で、見つけ、悩み、戸惑い、決心する。毎日欠かさず本屋へ行くのに、『ある夢想者の肖像』と出会うまで、約半年かかった。Amazonでは出会うことはないし、ミルハウザーと出会う場所としては似つかわしくない。

エドウィン・マルハウス』に憧れた実家の家の部屋には、カードダス、カセットテープ、詩集、が山積みにされている。部屋の扉を開き、山形県上山市にあった山交ランドの『イン ザ ペニーアーケード』へと向かう。
高校を卒業すると、何冊ものノートの上に築き上げられた『三つの小さな国』から旅立つことになる。
幻影師 アイゼンハイム』として、広島県へ出向き、『マーティン・ドレスラーの夢』に宿泊した。
窓から見える喧騒は別の時代の別の世界のようだ。

原爆ドーム前の広場には光が差していた。川が流れていて、ホームレスの人が自転車を引いていた。おはよう、と声をかける。彼は、自分の物語を語った。けれど、お金がないんだ、と言って手を振って別れた。後ろを歩くスーツ姿の男性にも、おはよう、と声をかけていた。
川面に反射する光、修学旅行で見た原爆ドームの影、青々とした木々。
初めての舞台まで、アストラムラインで向かう。

それから、10年が経った。
京都の丸太町の駅で降り、薄暗がりのなかを歩く。今年の紅葉は、遅かった。ちょうど、京都の山々は赤や黄色の葉が山を彩っていた。
夕方から雨が降り、沿道に植えられた銀杏並木から葉が落ちる。雨と銀杏の匂いが漂う。

全国高校駅伝の二区中継地点を示す看板が見える。昔、ここを目指し、部活に励んでいた。
都大路、と呟く。雨の音、車が通る音で、すぐに声は消える。
夢にまで見た都大路を歩いていた。
走ってはいない。

あれから、20年ほど、経っている。

エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死

エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)

マーティン・ドレスラーの夢

マーティン・ドレスラーの夢

三つの小さな王国 (白水uブックス―海外小説の誘惑)

三つの小さな王国 (白水uブックス―海外小説の誘惑)

『泳ぐのに安全でも適切でもありません』とMARUZEN&ジュンク堂梅田店

形容詞なんてなくていい、とある人は言った。レトリックは世界を真実から隠している、とその人は考えているのだろうか。形容することを嫌っていた。

目の前には揚げた魚がいる。三切れ。白い衣を薄くつけている。今にも崩れてしまいそうなほど繊細な輪郭は、衣によって保持されている。
箸でつまむ。口へ運ぶ。噛んだと同じく、魚の輪郭は砕け散る。口のなかから喉を通り、胃にたどり着く。
その過程を誰も観察しない。

口には魚の香りが残っている。
目の前には女性が座っている。柔らかく微笑む。日本酒を口に運ぶ。
彼女は仕事の話をする。彼女からはお香の香りがする。
お葬式の時に嗅ぐあの匂いではない。

そのお店のお酒は酒蔵から直送されており、とても安い。料理のお値段もさほど高くない。大衆居酒屋らしい。お客さんの多くはスーツを着ており、仕事場の会話をしている。

京都はちょうど紅葉の時期だった。祇園四条から少し歩いたその場所は、京都らしい古民家の並ぶ区画から少し外れている。昔からの歓楽街らしく、街角には肌をあらわにした女性が立っていたり、黒いスーツを着た男性が立っていたりした。

やんわりとした口調で、目の前にいる女性は話した。彼女の目は緩やかな曲線を描いている。彼女自身の器の大きさを表したような、優しい瞳の輪郭は、瞳とまぶたの境目さえもおぼろげにしているようだった。

これは、瞳でもあって、瞼でもあるの。

そんな風に語り出し、彼女はすでに生まれた意味をやんわりと拡張していく。

つまりは、と対峙した男の子たちは答えを求める。つまりは、瞳ってこと?瞼ってこと?と。
けれど、彼女はその問いに少し悩んでから微笑む。微笑むことで全てを許容できると信じているかのように。

つまりは、って言われると困ってしまうけど、瞳から始まった瞳は瞼から肌そのもの、血管、細胞とつながっていて、というよりもそれらも同時に瞳。
でも、私の知る瞳は本当の瞳じゃないの。
つまりは、私、瞳のこと見ながら、瞳のこと何も知らないなって思う。

首をかしげるのか、彼女に同調すべきか迷う男の子は、安い日本酒を口に運ぶ。とても良いお酒だ、と思う。

人は口から肛門にかけ、管で結ばれている。それは空洞である長い管。人は空洞だ。
吸い込む空気は肺から血管に運ばれ、再び肺に戻り、吐き出される。内側だと信じている人の体は外側で、私は空洞で、空気みたいなもの、他人みたいなものだ。
飲み込んだお酒は、いずれ排出されるが、排出されたものが、私自身なのか、それともお酒自身なのか、分からない。同時に、お酒であり私である。お米、水、幾億個という細菌類、ヘモグロビン、血管に染み出した知識、糖分、思い出。

お酒を再び、口に運ぶ。彼女も同じように口にする。私は世界。世界は私。そうしたら、なんて言って私はあなたと待ち合わせすればいい?
私は私の一部のあなたなのか、あなたの一部の私なのか。
世界が形容する私とあなたは、それぞれ、何かしらの私とあなた。美しい私、優しい私、器の大きな私。私は漢字じゃ描けない。世界に滲み出る私が必要だから。漢字は意味に閉じ込められてしまう。少しだけで良いから、言葉から滲む騒音を聞かせて。

ひらがなで書かれた曲線の名前を、鉛筆や習字の筆でなぞる。
墨が半紙に滲み出て広がる。まるで香りみたい。輪郭を持たない、境界の見えないものを感受する嗅覚のようなセンサー。

彼女は蛸を摘む。
同じように、彼はお新香を摘む。
彼女はお酒を飲む。
彼もお酒を飲む。
口元に広がるお酒の匂い。口元から香りが漂う。

翌日、京都から大阪へ移動する。
夜に、『泳ぐのに安全でも適切でもありません』をくれた女性と飲んだ。2人ではなく、4人で。

彼女は形容詞の波の中で、名詞を捕らえようとする漁師のように、目を大きく見開いて話す。
もしも、男たちが名詞に縛られなかったら、彼女たちはもっと美しくいられるのかもしれない。彼女たちは世界。けれど男たちは、彼女たちと世界を隔てたがる。
あなたはあなた。世界は世界。私は私。

MARUZEN &ジュンク堂書店梅田店のブックカバーをつけた、『泳ぐのに安全でも適切でもありません』を本棚へとしまう。読み終えたのに読み終わらない感覚が、伝えたいことも書きたいこともなかったかのように思わせる。読後感はほとんどない。滲み出てどこかへ行ってしまった。

私、私じゃない、とも言い切れない。

否定形に否定形を重ねて彼女たちは自分を拡張させようとする。
安全でもない、適切でもない。オススメもしない。呼び止めもしない。好きでもない、嫌いでもない。あなたじゃない。愛してる、とは口にするけど、愛してるなんて知らない。愛してるなんて口にしないけど、愛してるくらいわかる。

彼女たちは否定形を重ね合わせる。
唯一の存在を否定し、私を否定し、あなたを否定する。
それは、言葉にしなくてもいいもの。

全てを私と思って。

中学時代に好きだった子がそんなことを言っていた。

泳ぐのに、安全でも適切でもありません (集英社文庫)

泳ぐのに、安全でも適切でもありません (集英社文庫)

『歯車』と山下書店原宿店

週末、頭が痛かった。
上京してから、偏頭痛の癖がついた。そんなに頻繁ではないが、偏頭痛の痛みは気が狂いそうになる。

北側の部屋は光が遮られている。
窓の隙間からわずかに見える空は、青く澄んでいる。東京の冬の空だ。
部屋の空気が澱み、悪夢を見そうなので、妻に頼んで窓を開けてもらう。冷たい空気が入る。乾燥した空気は、冬の冷気を含み、鋭く突き刺すように体に触れる。
それは、正気を保たせてくれる。

まどろみと冷気の間を行ったり来たりする。
大学時代に出会った、女性の夢を見る。半分は妄想かもしれない。

彼女の名前はユキといった。ユキは当時、高校3年だった。年が3つ離れていた。
彼女は緩やかなセーターを制服の下に重ね着し、膝上までの短いスカートをはいていた。正真正銘の女子高生だった。

ユキは、人懐こい目で、いろんなことを話した。本が好きだ、と言った。洋服が好きだ、と言った。映画が好きだ、と言った。
彼女はいわき市の高校に通っていた。仲良くなり、クリスマスを迎えた。クリスマスの日、彼女は家に遊びに来た。緩やかに時間が過ぎた。次第に言葉が少なくなる。彼女との距離がなくなり、柔らかな体に触れる。

怖かったのかもしれない。彼女に触れた手を机の上にのせると、彼女から体を離した。日の落ちかけた空は鮮やかに赤く染まっていた。
窓から入り込む冷気は乾いていて、とても冷たかった。夕日が彼女の頬を照らす。突き放されたような彼女の目は、さえない男を見て、笑った。

18時頃、彼女は家に帰った。
それから何度か連絡を取り合った。
大学を卒業して上京したのを機に、連絡は途絶えた。

表参道でばったり会ったのは、1年ぶりだった。彼女は以前より大人っぽくなっていた。相変わらず、大きな目を見開いて笑った。

彼女は楽しそうに話しをした。
彼女の肌に触れたかった。わずか数センチにいる彼女に触れることは許されない。彼女の洋服を脱がせ、裸の彼女に触れたいと思った。それは過ぎた日の出来事だと知っていたのにも関わらずに。

芥川龍之介の『歯車』を読んでいる、と彼女は言った。男なんてみんな体が目的なんだ、と言う彼女が聞いている歯車の音は、いったいどんな音なのだろう。幻惑と妄想の中で、彼女を追い詰めるものの正体を知ることはもうできない。生身の彼女にさえ触れることができなかったのだから。

彼女と別れた帰り、今はもうない、ラフォーレ原宿の山下書店へ寄った。『歯車』は置いていなかった。

グーグルで検索すると青空文庫が出てきた。その空は、突き刺すように冷たく乾いた空のように感じた。

歯車 他二篇 (岩波文庫)

歯車 他二篇 (岩波文庫)

「ロッキンオン」と鹿島ブックセンター

僕は世界に数百人しかいない。もちろん、希少価値は高い。

世の中には、君は世界に一人しかいない、という人がいる。
世界の人口はもうすぐ100億人になる。100億分の1の確率で僕が存在するほどの存在ではない。僕はこの世にいる数百人の僕に出会うことはできないだけ。

もしも会いたいというなら、2個方法があるらしい。
重さを失うか、光よりもずっと早く走るか。

1980年に僕は3人くらい生まれた。1981年には6人、1982年は105人になり、1983年には、138人が生まれ、3人死んだ。

1980年5月に僕の知る僕はイアン・カーティスが死んだ世界で泣いていた。僕は赤ん坊で、泣くことしか知らなかったから、泣いていた。

その年、ジョン・レノンも死んだ。その頃になると、僕は泣き止むことを覚えていた。
イアン・カーティスの死で世界は泣かなかった。ジョン・レノンが死んだ時、世界は泣いた。
僕はイアンの時に泣き、ジョンの時に泣き止んだ。生まれながら、世界と逆行するように運命づけられてたのかもしれない。

1980年に生まれた僕の中の1人は、イアン・カーティスの訃報を知らなかった。もし、1970年に生まれていたとしても、僕の生まれた土地では、イアン・カーティスが自殺したことを知る術はなかっただろう。

生まれてすぐ、愛が僕を切り裂き、僕は3人生まれた。
一人は母によって、一人は父によって。

父は日々の仕事に飼いならされても、気力を失うことはなかった。
やけに寒い寝室で、母は僕に母乳を飲ませた。もうすぐ東京では夏だというのに、山形はまだ遅い雪が降っていた。

僕は寝言で父と母の名前を叫んだ。けれど、父の名前を知らなかったし、母の名前も知らなかった。
言葉も喋れなかったので、2人は僕が怖い夢を見て泣いているのだと思った。真っ暗な寝室で2人は、僕の顔を覗き込んだ。

2人は泣いている僕を見つめて夜を過ごす。父は間もなく眠りにつき、母は朝ごはんを作るために台所へ向かった。

ようやく、遅い春が山形にやってきていた。
いつもなら、遅くてもゴールデンウィークの最中には桜が満開になる。けれどその年は、5月の中旬まで桜は咲かなかった。雪は田んぼの上に残っていて、早朝には氷が張ることもあった。
NHKの天気予報では、観測至上初めてのことだと伝えた。

イアン・カーティスが死亡した日、山形のニュース番組は韓国の光州事件を取り上げていた。
光州事件は、5月27日、政府により鎮圧される。死亡者は170人だと発表された。

その年日本では21,000人が自殺した。そのうち、学生は600人ほどだった。彼らの中で、名前をニュースで伝えられたのは3人ほどだった。

1980年、イアンとカーティスに引き裂かれた彼は、分裂したまま死ぬことを選んだ。僕の知る歴史では、イアン・カーティスはその年世界から消えた。残りのイアン・カーティスがどうなっていたか知る由も無い。

世界に僕は1人だけではない、と気がついたのは、後年、分裂したイアンとカーティスの面影を僕は見つけたからだ。
僕が初めてイアンに出会ったのは、1989年だった。
その日、僕は小学校のグラウンドで徒競争をしていた。その年の5月は平均的な5月で、ゴールデンウィークの最中に桜の花は散った。

グラウンドから見える小高い山の斜面には、遅咲きの山桜が咲いている。針葉樹の青々とした葉に混じり、未だ葉の育たない広葉樹の枝が見える。その中にポツリポツリと山桜は咲いていた。

空には雲があって、雲の先端は山に隠れていた。その頃、山の奥には崖があり、そこで世界が終わるものだと思っていた。そして、世界の終焉から流れてくる風にイアンはあった。
実際、それがイアンだと知ったのはそれから10年後のことだった。

大学に入り、福島県で一人暮らしをすることになった。僕は、ロッキンオンという洋楽雑誌の中で、イアンを見つけた。イアンは2人いた。1人はI Wanna Be Adoredと歌った。もう1人のイアンは、僕が父と母の中で名前を叫んでいた頃に自殺したイアンだった。彼はlove will tear us apart againと歌っていた。

その時、かすかに感じたのだ。僕らは唯一の存在ではないのではないか、と。僕は歌を歌い、本を読み、詩を書いた。何日も走り続け、何日も酒を飲んだ。

それで、僕は分裂していく僕を見つけた。

日陰になった部屋で洗濯物を干す僕は、日向の道路を知らない女性と歩く僕を見た。
窓の目の前は小高い丘になっていて、その裏側には国道6号線が走っていた。
僕はその時、その丘の向こうが世界の終焉ではないことも知った。丘の裏へと歩いていく僕は楽しそうだった。

10年前、世界の終焉から流れてきたと思った風は、終焉ではなく、もう一つの世界だった。だからと言って、僕はその世界へは行けない。僕の知る僕の世界は、確かにそこで終わりを迎えていたから。

世界の数百人の僕は、何人か生まれ、何人か死ぬ。僕はそれを知ることはできない。僕は僕に出会おうとするたび、世界は僕の視野の中で終わりを告げ、数百人の僕らは、すれ違うことしかできない。

僕は、洗濯物を干し終えた。
その日はバレンタインデーだった。僕は女性を知らなかった。大学時代を過ごした福島県いわき市は、冬になるとよく晴れる土地だった。
乾燥した風が僕を突き刺す。僕は手をつなぎ、楽しそうに女性と歩いて行った僕を羨ましく思った。

その日、自転車でいわき市の浜辺を回った。100キロくらいあっただろう。浜辺には車が数台必ず停められていた。その車には、男女のペアが乗っていた。二人は海を眺めている。

日が落ちた。小名浜港から鹿島街道で北へ向かう。途中、鹿島ブックセンターでロッキンオンの最新号を買った。イアン・ブラウンが表紙だった。
ソロになって初めてのアルバムが発売された。その歌を僕は聞かなかった。

『長距離走者の孤独』と森の図書室

ライフスタイルの中で、書く行為、読む行為を忘れてしまうことがある。

月の定例で読書会を開くことになった。2回目を28日に予定した。予定した方が悪いのだが、多くの人に予定が入っていて、誰も集まらない。

誰もいないのなら一人で読書会をしてもいい。ずっと以前から長距離走者だった。孤独と向き合い、大衆と触れ合いながら、馴れ合わないようにしてきた。指し示されたゴールを目の前にして、立ち止まることだってある。みなが前進せよ、と言ってもだ。

ただし、言葉は正確に使う方がいい。読書会は、複数人いることで、会をなす。一人だけであれば、それは読書に他ならない。
お酒を飲み、本と戯れるだけの時間だ。森の図書室へやってきた人たちは、横目で見るだろう。それから無視するはず。
向かい合って座る男女が見える。
互いの好きな本について話をしていた。男は女に『長距離走者の孤独』を紹介する。

彼は新潮社から出ている文庫を本棚から取り出す。彼女の前に置くと、若い頃に読んだんだ、と言った。40前半から30後半くらいの男の正面には、明らかに20代の女性が座っていた。
彼女は『長距離走者の孤独』を手に取ると、ページをパラパラとめくる。


12月だっていうのに、雪が降らないのね、と彼女は言った。彼女はウォークマンのイヤホンを耳から外した。ねえ、これ聴きなよ、と外したイヤホンを渡してくれた。
The smithのQueen Is Dead だった。彼がその曲を聴いたのは初めてだった。艶かしいギターの音と細々とした歌声。小学校の頃、遠くから聞こえてくた行進曲のようだった。初めて聴いた曲に思わず、懐かしい、とつぶやいた。
知ってるの?と彼女は言った。驚いた顔をして目を覗き込む。いや、と彼は首を振る。なんていう曲、と彼は尋ねる。The Smith のQueen Is Dead と彼女は伝えた。やっぱり知らないよね、と彼女は視線を外し、窓の外を見た。空が真っ青だった。乾燥した冬の空は、色彩の濃淡を鮮やかにする。彼は、彼女の視線を追い、外を見た。


40代くらいの男は、20代の女を目の前にして、スミスのことを思い出していた。高校時代に付き合っていた彼女が教えてくれた。あなたはいつも走ってばかりいるね、と彼女は言った。何考えてるの、走ってる時、と彼女は尋ねた。彼は、答えられなかった。答えられず、彼女を見ていると、彼女はイヤホンを外して、聴いて、と言った。
彼は、ジャージの腕を捲り、彼女からイヤホンを受け取った。

あなたみたいに走ってる男の子の小説があるの、と彼女は言った。主人公の名前はスミス。上から読んでも下から読んでもスミスはスミスだね。

目の前の女は、彼の顔を見ている。彼はスミスのことを話した。音楽のことも話した。話しながら、虚しくかった。
スミスはスミスだね。
男は、女に向かって言った。ポールスミスなら知ってるよ、と女は言った。ポールスミスって長距離走者かな、男は答えた。さあ、と女は答え、色のついたお酒を飲んだ。

男は、目の前に出した文庫本を棚にしまう。女はその動作を見ていた。私は伊坂幸太郎が好き、と言った。伊坂幸太郎って伊佐坂先生みたいだね、と男は答えた。伊佐坂先生って、サザエさんの?と女は尋ねた。男は、そう、と答え店員にお酒のおかわりを求める。

本が好きなの、と女は言った。見た目はこんなだけどね、と。男は森の図書室へ行こう、と誘った。渋谷にあるんだ、酒も飲めるし、本もたくさんある、と。
男は、あわよくば、そのまま道玄坂のホテルへ行こうと思っていた。女は男に気があった。一時間くらい話をした。男はそろそろ店を出よう、と女に伝えると、女はうなづいた。
店員にクレジットカードを渡す。精算をして店を出た。

女は男の体にしがみついた。12月だね、と言って体を震わせた。昼は暖かかったが、夜になると冷えた。
男は女を裸にすることを考えていた。渋谷の喧騒の奥、早く走れ、早く走れ、という声が聞こえる。
さあ行け、早く飛びこんじまえ、男はそう思った。看板にはソープランドの電光が光っている。ガンソープはよたよた走っている。早く飛びこんじまえ、男は再びそう思い、女を見た。女はネオンに輝くソープランドの文字を認識しながら、意識せずに、寒いね、と言った。

彼女が制服を脱ぎ、下着になった時、彼の鍛えられた体は露わな状態だった。彼女は恥ずかしげだったが、何も気にしてはいない、という態度をとった。彼女は、CDをかけて、とお願いする。ベッドの中に潜り込み、
Life is very long, when you're lonely
と歌った。


店が終わる時間、周囲には一人で来ている客はいない。ランチもやっていますよ、と店員は告げる。
男は今頃、女を裸にしているだろう。
女は裸になって、男に触れられているだろう。

会計を済まして、店の外へ出る。
風が強くなっていた。冷たかった。人の群れを歩く。終電まで時間はある。人生は一人で過ごすにはあまりにも長すぎる。急いで電車に乗り込み、家へ帰る。

規則を破るほど気の利いてるわけではない。

家に着くと靴を脱ぎ、洗濯機にワイシャツを入れる。夕ご飯を温め直し、テレビをつける。眠気気が襲ってくる。本棚から『長距離走者の孤独』と『土曜の夜と日曜の朝』を取り出す。拾い読みしながら、眠気に襲われる。

目を閉じると朝になっているだろう

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

『オルフェオ』とエムズ書店みたけ店

ようやく、書き出せる。

マジックリアリズムによる呪いが、ブログを開かせる手間をかけさせた。

帰宅途中、江田駅に着いた時、リチャードパワーズのオルフェオを閉じた。はじめの45ページで、最後を想像することをやめる。表周りに書かれた説明も、推薦分も飾りになる。

目の前には二人の女性がいる。
彼女のうち1人は、虚空を見つめ、目的の駅に着くのを待っている。彼女は、カバンを手に持った。
彼女は、渋谷から電車に乗ってきた。各駅停車で約一時間かかる。座席に座り、眠ろうとしたが、眠れない。読みかけの本を忘れたからだ。

彼女は田園都市線の藤が丘駅と市が尾駅の間にある、一週間で一度しか止まらない駅の歩いて三十秒のとこに住んでいる。
藤が丘駅まで乗ってきた彼女は、改札にPASMOをかざし、通り抜ける。冷たい夜だった。身震いを一つして、空を見た。よく晴れている。月の光が神々しく輝いていた。にもかかわらず、星は見えなかった。光が多すぎて、光が見えないなんて、と心の中で思った。

国道246号線からパトカーのサイレンが聞こえてくる。彼女はツイッターで、藤が丘、事故、と調べる。手のひらから光が放たれ、彼女の顔を照らす。

鶴見川が見えてくる。遊歩道を少しだけ逸れる。高架橋の上を電車が走っていく。彼女は、扉を開き、ただいま、と言った。

父親が1人、テレビを見ていた。彼は、おかえり、と告げる。上着を脱ぎ、ハンガーにかける。寒いよ、外は、と父に告げた。彼は、彼女を見て、頷いた。

彼女の名前は、エズメ・エムズ。彼女の父は、岩手県花巻市にある株式会社まるかんの創業者の三男だと語っていた。たぶんそうではないだろう。彼女の家族が岩手県へ行ったことはないし、父の語る年表は矛盾に満ちている。

ショツピングモールで有名なイオンは岩手県進出を長い間失敗していたた。花巻市に本社を構えるまるかんが、イオンと真っ向勝負をし、進出を阻止していたと言われている。
しかし、2006年にイオンモール盛岡南が出店した頃から、イオンとまるかんとの構図は崩れてきた。その頃から、まるかんは業績が落ちはじめた。悪いわけではなかった。
エズメの父は、まるかんの子会社であるエムズ書店の社長をしていたんだ、と語っていた。
2010年にエムズ書店の社長の椅子を明け渡し、上京した、と彼は言った。

エズメの免許証には江図泉と書かれている。本名がエズメなのか泉なのかわからない。父はいつもエズメと言った。そして、苗字はエムズだと言う。
父は統合失調症を患っている、と医者は言ったが、普段の生活に何ら変わったことはない。自分のことを見失っていること以外は。

エズメはテレビを見ている父に向かって、もう寝なね、と言った。父は返事もせず、立ち上がると、もう寝る、と言った。
エズメは、天井を見た。家の中は何も聞こえない。天井は揺れている。電車が走り抜けているのだろう。彼女はそんなことを思った。父は、襖から顔を覗かして、お母さんは今日帰ってこないよ、と言った。エズメは、そう、とだけ答えた。

エムズ書店は盛岡の郊外にある。
エムズ書店は最寄駅から20分近くかかるが、駅には一時間に一本しか電車がこない。駅まで歩くより、駅舎で待っている方が長い。

東京の電車は待つことがない。
改札を入る。ホームへ行く。電車が来る。
チャイムが鳴らされる。ドアが閉まり、電車が発車する。
電車から降りた人の群れが、階段を降りる。

ここはどこか知っている人はいない。
とこかの僕は、電車で恵比寿へ向かい、藤が丘へ戻る。目の前に座った女性が、電光掲示板を眺めて、次の駅を確認している。
彼女はリュックの紐に手をかける。電車が止まるのを待つ。
扉が開く。電車から降りる人混みは階段へ向かう。彼女もまた、階段を降りていった。

オルフェオ

オルフェオ