本のこと、はしること、山形県のこと。

本と本屋さんのことを中心に書こうと思ってます。走るのが好きです。山形県出身です。内容をちょっとづつ調整していってます。

サン&リブと『おみやげのデザイン』

今週のお題「おすすめの手土産」


もう、今週のお題、行ってみたい時代は、先週のお題になったんだ。
先週へ戻りたい。

手土産、というよりお土産の方が僕にとっては心地が良い。たいてい山形へ帰る時くらいしか手土産を持っていかない。

でも、上京して10年経た頃から、手土産を持っていかなくなった。
手土産を持ち、仏壇に供える。線香をあげる。祖母は会うたびに惚けていく。父と母は老いていく。姉の子供たちは6人いて、帰省するたびに増える。僕はお客様で、茶の間で寝転がっていても何も言われない。高校までは、手伝えとか、片付けろ、とか口うるさかったのに。
それがつらくて、手土産を持ってかなくなった。僕は、身内だ、と主張したいのだろうけど、認められない。

本来なら、贔屓にしているところのものを手土産にすべきなのだろう。安くても、小さなものでもいい。自分が愛しているものを、お口に合いますかどうか、とお持ちすることがいいのだろう。

そんな風流な生き方をしてこなかったし、高校までは山形、大学は福島、就職は東京、と断続的な場所で貧しく生きてきたから、贔屓にしてるお店を作れていない。

1年前くらいだろうか。おみやげのデザイン、という本を出した。
かわいいパッケージやグラフィックデザインの優れたおみやげを扱う、デザインの事例集だ。
少々高いけどよくできている。かわいいパッケージや特徴的なビジュアルデザインが施された、ちょっと変わったおみやげがたくさん載っている。

あの子にはこれを買って行ったら喜ぶだろう、とか、あの子にはこれだな、とか、ページを開くたび、キャーキャー言われるイメージが容易に浮かぶ。

山形のおみやげ品は、
サン&リブの山形代表や
アカオニデザインがデザインした、
イナゴふりかけなんかが載っている。
サン&リブは実家から自転車で10分、最寄りのコンビニのすぐ近くなので、なんだか誇らしい。
最近は東京にも売っているので、手土産にしてる。

その流れでいっそ、山形のおみやげを実家に持って行こうかな。

おみやげのデザイン―Package design for food gifts in Japan

おみやげのデザイン―Package design for food gifts in Japan

『ノルウェイの森』と『ノルウェーの森』

村上春樹は、僕、と言う。その主語を見つけた上野千鶴子は、男性の悪びれない二面性に嫌悪を示した。

なんの本で読んだのか、もう忘れてしまった。ハルキストへ向かう途中、僕は彼女の言葉にハッとした。
僕は、文字にするとき、僕、という言葉を選ぶ。そして、もう一つの人格を作り出し、現実と架空の世界を分け隔てる。上野千鶴子が言う通り、悪びれることなく、もう一つの自分を作り出し、現実から逃亡する。

ノルウェイの森は、ビートルズの曲からタイトルをつけている。
作詞は、レノン=マッカートニー。ポールとジョンの共作になる。

ノルウェイの森は、誤訳と言われる。一般的には、ノルウェイ産の木材、という意味らしい。
レノンは、浮気した時の歌、と語った。ポールは、恋人の家が安い松材で作られていたことから、タイトルをつけた、と言った。
当時、ノルウェイ産の木材は安く、労働者階級の人が住む家によく使われていたらしい。

二人は女の子の家にいた。

女の子は、いつでも私、という。私は私から逃れられないのだ、と忘れてしまった本の中で、上野千鶴子は言った。

私の家はノルウェイ産の木材で作られた安い家だ。私は仕事へ行き、働き、家に帰る。ノルウェイ産の木材で作られた、安い家へ帰る。
私はそこで寝る。ときどきレノンがやってくる。彼は座るところを探し、床に座る。ワインを飲んで話をする。
私は、明日仕事があるの、と彼に伝える。彼は、僕には仕事がない、というけど、結局は話し相手がいないから眠る。一緒のベッドで寝ればいいのに、彼はいつも風呂場へ行く。ここがいい、ここが落ち着くんだ、と言って。

朝になって、私は仕事へ行く。
彼はまだ風呂場で寝ている。いや、寝たふりをしているはず。だって風呂場でなんて熟睡はできるわけないじゃない。
私は半裸で部屋を走り回り、洋服を着て、カバンを持つ。シャワーを浴びたいけど、彼が寝てるから浴びれない。私は、部屋の鍵を開けたまま、仕事へ行く。書き置きや朝ごはんなんか残していかない。残してきたものは、脱ぎっぱなしになった下着だけ。たぶん、彼はそれを指でつまんで匂いを嗅ぐ。顔をしかめて、風呂場へ放りなげるの。それから、タバコに火をつけて、私の家の壁に焦げ跡を残す。

もしくは、ポールがやってくる。ポールはレノンと違って紳士なの。彼は私をお姫様のように扱う。だから私も彼を王子さまのように扱う。彼は私の家を安い材木の家、だなんて言わない。彼は私の家をノルウェイの森って名付ける。だから私はノルウェイの森のお姫様で、彼は王子さま。私たちは、広大な森の中で横になってワインを飲む。私は、彼といつまでも話してたいと思う。でも、彼は腕時計を見て、私に言うの。さあ、もう寝る時間だよ、君は明日仕事があるんだから、と。
彼には仕事がないのに。

ポールは私と一緒のベッドで眠る。狭いベッドだから、私はうまく眠りにつけない。横を見ると彼はぐっすり寝ていて寝息を立てている。私は、ベッドから立ち上がり、床の上に座る。飲み残したワインをグラスに注ぐ。真っ暗な夜。私は何も言わず、何も聞かず、何も言わなかった。私は、ワインを飲む。初めてお酒を飲んだみたいに、苦々しい顔をしてると思うの。でも、その顔を見てくれる人はいない。

朝になる頃、私はベッドに入る。彼は寝返りをうって、私にぶつかると、目覚める。もう起きたのかい、だって。だけど私は、そう、もうそろそろ準備しないと、って言ってまたベッドから出る。馬鹿みたい。

私はイライラして、仕事へ行く準備を完璧に整える。シャワーを浴び、朝ごはんを作り、朝ごはんを食べ、彼を追い出す。
彼は、またね、と言って手を振る。
私は、じゃあね、と言って仕事へ行く。

夕方、私は本屋へ行く。駅から家へ向かう途中にある小さな本屋へ。まっすぐに帰りたくない。本屋に入りとすぐにトイレへ行きたくなり、落ち着かない。料理のレシピ本を選び、レジ横に並んだ売り出し中の本を手に取る。
急いで本屋を出ると、尿意はなくなる。

私は家へ帰る。部屋は真っ暗だったので、私は灯をつける。テーブルの上に買ってきた本を置き、夕ご飯をつくる。

いつもと同じ、パンにサラダ。このままじゃガリガリになって、消えて無くなっちゃうよ、と女友達は言う。そうだ、健康に良くない、と思っても、レシピ本を買うので精一杯。買って満足して終わる。もうすぐ、消えてなくなってしまうかもしれない。

私は、私から逃げれない。私は私だ。消えてなくなってしまうまで、私は私だ。

ノルウェイ産の壁にタバコの焦げ跡が残っている。まるで田舎町の駅のトイレの壁みたいだ。

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

Halloween party と『CuiCuiの植物で楽しいハンドメイド』

恵比寿に会社があって、会社がイベントスペースを持っている。
Kusakanmuriという花屋もしている場所で、出版記念などもしたりする。

今年の4月に出版した、『Cui Cuiの植物で楽しいハンドメイド』の著者、そのまんまだけど、Cui Cuiさんが結成5周年のHalloween partyを行った。
子どもと一緒に遊びへ出かけた。


子どもの顔にペイントして、写真を撮ってもらい、ワークショップをした。
本はあまり売れなかった。
ほとんど持ってたんだろうし、本を売る準備をして行かなかった。

本は、本らしく売らないと売れない。

クラフトものは、雰囲気が大切だと思う。本だけでは説得力にかけるのだろう。

賑わう中で、ポツンと本が置かれている姿を見ると、もっと可愛がってあげないといけない、と思う。

本は周辺に佇む。
塩や胡椒みたいな存在になれたらいい。

Cui Cuiの植物でたのしいハンドメイド―季節の草花でかわいい雑貨をつくろう!

Cui Cuiの植物でたのしいハンドメイド―季節の草花でかわいい雑貨をつくろう!

6次元と『ポアンカレ予想』

6次元へ山形ナイトのイベントに行った


山形に関係する人がたくさんいた。
多くは庄内地方の方で、僕はぼんやりと池田久美子のことを思い出していた。池田久美子山形県酒田市出身の陸上選手だった。

彼女はすでに引退した。

僕は山形県米沢市で陸上部をしていた。先輩には山形県米沢市出身の全国トップクラスの陸上選手がいた。彼は、高校卒業後、大学へ行かず、陸上部のある企業へも行かなかった。
高畠町でワインを作っている。

彼はまだ走っているみたいだ。
県の陸上記録会に名前が載っている。

同じ山形県で、同じ陸上部で、同じ程度インターハイで記録を残した、彼女と彼は、一筆書きで繋がるのだろうか。

6次元っていう名前が、僕の脳みそを混沌とさせる。前に読んだ『ポアンカレ予想』のことを思い出す。
ケーニヒスベルクの7つの橋。それを一筆書きで繋ぐには、もう一つ次元を足さなければならない。

6次元なら、いたるところ縦横無尽だな、と思う。
かつて、僕が大好きだった初恋の女の子や、眺めるだけだった、高校時代のスタンドから声援を送るかわいい女の子にも、柴咲コウ宝生舞にも、僕は手軽に出会い、手をつなぐことができるかもしれない。

6次元なら、それくらいお手の物さ。

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

書肆ひぐらしと『私の個人主義』

御茶ノ水駅のすぐそばに、日本出版販売という会社があって、新刊を全国へ流通させるためにそこへ行く。


新刊3タイトルを登録し、神保町の方へ緩やかな坂道を下る。小川町の交差点をまっすぐ進み、少し行ったところで右に曲がる。二番目の交差点を左へ曲がると、昔、東京電機大があった場所の向かいに、西村書店という理工書専門の問屋があり、日本出版販売と同じく3タイトルを登録してもらう。


12時を過ぎ、公園でおにぎりを食べる。昨日、新宿でお酒を飲んだ。庄野潤三という作家を勧められた。神保町へきたので、買って帰ろうと思った。ふと、昔、石川九楊さんの本を勧めてくれた本屋さんのことを思い出した。行ってみようと思った。

お昼時の神保町は、至る所に行列ができていた。


古本屋へやってくると、ちょうどお店を開いたばかりだった。年季の入った本棚に、店主が本を入れている。バタイユの『眼球譚』が無造作に置かれていたので、手にとって眺めていると、店主が種村季弘の新刊が入ったよ、と教えてくれる。幻戯書房から出ている本だった。欲しかったけど、今日は庄野潤三が欲しい、と伝える。
どうやらないらしく、代わりに夏目漱石を勧めてくれた。


僕はあまり夏目漱石を読んだことがない。『私の個人主義』聞いたことのないタイトルだったが、とても感動的だというので買った。



私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。


昨夜、書店員と版元の方と同僚と一緒に新宿で飲んだ。アルコールが入り、気分が良かったのだろう。いつも以上に饒舌になっていた。


小さな飲み屋で、狭い席に四人で膝を突き合わせていた。人見知りする同僚のために、フォローすることも出来ず、ただしゃべり続けていたように思う。


店を出ると、新宿の街は光り輝いていて、酔っ払った人の群れが何人も歩いていた。僕を含めた彼らは、声を抑えることができず、平静を保てず、何かを喋り続ける。
それは、今日の昼ご飯のことや、妻のこと、子供のことや、働いている会社のことで、哲学的ゾンビの仮説や3.11以後の日本についてではなかった。


3.11以後、東北は特別な場所になった。福島県いわき市チェルノブイリになった。太平洋側は、大震災という言葉とともに語られるようになった。

そこでは、高校生男子は大声で話す。
エロ本買いたいんだけど、お前、どうやって買ってる?
あいつ、スタイルめちゃくちゃいいよな、ホテルにどうやったら連れこめっかな、とか。
大体そんな感じ。
制服のズボンを膝まで捲り上げ、髪を染めた奴ら。歩道いっぱいに並んで自転車に乗っている?

膝上10センチ以上のスカートをひらめかせてる女子高生は、マクドナルドで話をする。
ここは、デストピアでしょうか?
正解は、ドゥルルルルルルルルルルルルルルルル、じゃん!
いわき市です。
当たり前の答えに、大声で笑う。

彼女たちのスマートフォンが震えLINEからメッセージが届く。
スタンプが送られてくる。
彼女たちは、足を組み替える。油断した股が開いている。
男子たちは、押し黙る。前かがみになって、彼女たちのスカートの中を覗こうとする。

港町は津波の残骸を片付けられずにいた。失われたものを思い出すことには慣れている。
初老の男が、かつて、と語り出すと、港に吊るされた大漁旗は風ではためく。遠くで船の汽笛が鳴る。
ここからアメリカまで泳いていける?
5歳くらいの男の子が、初老の男の話を遮る。クロール覚えたら、アメリカまでいける?と。

高校を卒業した学生が東京の大学へ進学するため、いわき市を離れる。

60年代の学生は、共産主義ユートピアを作れると思っていた。彼らは、ペンは剣より強し、と剣を掲げ、学生運動を繰り広げた。暴力と暴力がぶつかり、暴力のうちに、運動は消え去った。

今の若者たちは、資本主義が作り出した湯ートピアを探す。だが、西船橋にかつてあった湯ートピアもすでに閉じられ、若者たちは資本主義の限界を感じている。

そして、満員電車に乗る。
女の子を連れ出した、男の子3人のグループが、大きな声で話をしている。
いくぜ、ラブホ!
届け、熱量!

クールな男の子が彼女の腰に手を回し、ここで降りよう、という。電車のドアが閉まる。置いてかれた男の子の声は、揺るがず大きい。
彼の思いは変わらない。
いくぜ、東北!
届け、熱量!

アルコールが体内のカロリーを奪い去り、話し疲れた男の子は、もう一人の男の子に支えられるようにして、電車を降りた。
これでも食べなよ、とカロリーメイトを渡される。

田園都市線は、半蔵門線に直通で伸びている。大手町で降り、少し地下路を歩く。すぐに東京駅だ。東京駅からは東北新幹線が出ている。
いくぜ、東北。
ただ、いわき市へは行けない。

鷺沼駅で急行と各駅停車の乗り継ぎがされる。
駅は静かだ。

秋の空は高く、空気は澄んで冷えていく。一秒ごとに冷えていく。ホームで立つ乗客はスマートフォンを見ていた。画面の光が反射する。光が顔に当たっていた。

もう、誰も語らない。
語りえぬものしか、この世には存在しない。
鈴虫とコオロギがこの世について語ろうとしている。でも、人間はその声を解読できない。ましてや、今はイヤホンをつけている。
彼らの声に耳を傾けることもしなくなった。

終着駅、ベットタウン。眠りにつくだけの街。
店の光も、マンションの光も消えている。駅前にはタクシーが列をなす。
それに乗ろうとする乗客も列をなす。
後部座席のドアが開き、ドライバーがどちらまで、と尋ねる声が聞こえる。後部座席に座り込む女性の声は朧げで、聞こえなかった。

グットモーニング、ベッドタウン。
これから、道路の工事が始まり、朝を迎える。朝は、東からやってくる。
子供達、妻たちと別れる。

ハローワールド。
満員電車で向かう東京は無言だ。
日が沈み、夜が更けて、アルコールを摂取するまでの僕は、冷静な頭のふりして、新しそうなことを言っている。


私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

シューゲイザーと置賜盆地

妻の実家は、埼玉県行田市にある。
行田市は、2007年に日本最高気温を出した熊谷市に隣接する。(現在は高知県四万十市の41℃が最高らしい。)

僕の生まれた山形県南陽市は、熊谷市に破られるまでの74年間、日本最高気温を保持していた、山形県山形市の南方にある。

行田市関東平野の北部にあり、南陽市置賜盆地の最北端にある。
行田市から見える山は遠く、ほとんど空と同化した影がうっすらと見えるだけだ。
南陽市から見える景色には、山が見えない角度はない。シューゲイザーさながら、下を向いて生活を、しない限り、山は目に入ってくる。


高校時代、僕は、陸上部でよい成績を上げれなかった。なせばなる、と上杉鷹山の教えに培われた風土で、成せずにもがいた。様々なところから、多くの助言を求めていた。ほとんどの偉人は、顔をあげろ、前を向け、と言った。未来は君の思うがままだ、と。

だから、前を見た。目の前に山はそびえていた。とても高い山だった。迂回しようにも、さらに高い山があった。僕は、山を乗り越えられると思えなかった。僕は下を向いた。

僕は下を向いた。そこには、ランニングシューズが2足あった。彼らは、地面に立っていた。右足を前に出す。ランニングシューズは30センチくらい、前に出た。もう少し力を入れて左足を前に出す。60センチくらい左側のランニングシューズは前に出た。
僕はよたよたと、2つのランニングシューズを交互に前に突き出した。その度に、体は上下した。肺は呼吸を苦しくした。顔は歪んでいただろう。

それでも、俯いた僕は、交互に前に出るランニングシューズを見ていた。無様だった。でもやめれなかった。気がついたら、僕は何Kmも走っていた。60センチくらいの幅しかないこの2つの足が、何Kmも前に運んだ。


先日、行田市の神社へ子供の七五三で詣でた。いつの間にか、子供は5歳になった。今、僕は関東平野の西部に住んでいる。山は影も形も見えない。よく晴れた日に辛うじて富士山が見えるくらいだ。

高校時代に僕が見た山は、ここにはない。ここからはどこまでも見通すことができる。まるで、未来さえも見えるようだ。

僕の子供は全速力で走る。前に向かって走しる。彼は下を向かない。遠い空を見る。

それでも、もし君が、この世界から愛を失ってしまったなら、下を向けばいい。俯いて、足を見たらいい。2つの足は、愛のない世界でさえも、君を未来へと連れて行ってくれる。ドラえもんのタイムマシンや、どこでもドアみたいな便利なもんじゃない。一回の動作でせいぜい、60センチくらいしか君を運ぶことができないやつだけど、君を未来へと連れて行ってくれる。



あの場所へ…希望の歌で悲しい歌の聴こえない場所へ。
理想ばかりよそおうばかり
悲しい歌の聴こえない場所へ
急いで
スーパーカー「wonderful world」)

Wonderful World

Wonderful World

インターネットと『スペキュラティブ・デザイン』

池袋駅から川口駅に向かう途中、ふと昔一緒に働いていた子のことを思い出した。

彼女と知り合ったのは10年前だった。この10年で世界は変わった。インターネットは得体の知れないものになり、メメックスWWWに興奮していたことさえ忘れてしまっている。
僕は、彼女の名前とグーグルさえあれば、思い出を具体化できるようになった。

手のひらで光る、スマートフォンの画面を、親指で操り、彼女の名前を検索してみる。
昔、彼女はダンスを踊っていた。彼女は、ダンサーだった。

愚かで無知な僕は、彼女のダンスについて、どうしようもないメールを送ったことがある。
僕はら彼女のダンスが好きだったんだ。こんなんでも、こんなんなりに、
好きだった。

それ以来、彼女からダンスのお誘いはあんまり来なくなった。今では連絡が途絶えた。
一緒に企画していたファンジンの話も宙ぶらりんになって絶えた。

10年。
世界が絶望するのに容易い時間を経た。
10年。
世界が希望を照らすのには、もう少し時間が必要だ。
僕らは、インターネットの網の目に繋がったまま、エーテルほどの小さな関わり合いの中で生きていた。

彼女が深く息をしたから、僕は街へ本を買いに行くのだと、信じたい。そうやって、彼女と僕をエーテルは、辛うじて繋ぐ。関わりを持たせ合わせる。

インターネットに彼女の名前を入力する。グーグルがぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。

検索結果に彼女の写真が出てくる。彼女は踊っていた。指先まで鮮明に。彼女の横顔に指先が交錯している。

2015年、彼女の公演はあった。踊っている。まだ、ダンスを続けていた。

検索結果に満足した。スマートフォンをカバンの中へ入れる。電車のつり輪にてを掴み、体重をかける。指先に力が入る。窓の外にはいくつものビルがそびえていた。空が真っ赤になっていた。まるで、口紅のようだ。

女性は赤い色を身につけると、セクシーに見えるらしい。男性は知的に見えるらしい。

真っ黒なカバンには、いくつもの本が入っている。僕が本を買いに行く。彼女は深く息をする。指先にまで呼吸をする。もう一度、深く息をする。僕は、財布からお金を取り出し、レジ横に陳列された本を手に取る。

彼女は踊る。
僕はその度に息をする。
舞台の上で踊る。僕は、目を瞑り、息をする。カバンを手に握り、新しく出版される本のゲラを読む。難しい言葉か並ぶ。資本主義の限界、とかデザインは全てを解決できるものではない、とか。
それから、また、息をする。
だから、彼女は踊る。観客は眼差しを向ける。彼女の踊りを見つめている。

空は、エーテルに満ちていて、光はエーテル伝いにやってくる。その小さな粒子は、あらゆるものを永久に媒介して運ぶ。本も、踊りも、息も、お金も。

エーテルの解析に成功したヴィントン・グレイ・サーフは、インターネットの構想を現実化していく。エーテルはあらゆる情報を運ぶ。世界はエーテルで完全に繋がることが出来る、とティム・バーナーズ=リーは言った。バーナーズ=リーはworld wide webを完成させる。情報は、エーテルを媒介し、アーカイブされる。

空中に浮かぶ透明は、誰かの映像と、誰かの状態を含んでいることを、僕らは知っている。デジャブの原理も、夢を見る原因もエーテルの解明と一緒に暴かれた。
そう、僕は息を吸う。エーテルを吸い込む。息を吐く。エーテルを吐き出す。その度に、彼女は踊る。僕の情報をエーテルは運ぶから。

僕は、手のひらのスマートフォンを見ている。彼女の踊りがYouTubeに映っている。
それは、もう一つの世界。
アリストテレスデカルトが信じた世界。ニュートンやマックスウェルが証明した世界。ホインヘンスが作り出した世界で僕は、彼女吐息さえ感じる。彼女は僕に本を買わせるために、息を深く吸う。僕は、彼女に踊ってもらうために、息を深く吐く。

もう一つの世界。
もしも、と僕は言う。
歴史にもしもはない、とかつて口にした僕らは、コンピューターの前で、もしも、と問う。
人々は共鳴するだろう。ツイッターは知らない人の声を拾い上げ、フェイスブックは親愛なる遠距離の友人たちを運んでくる。インスタグラムは、誰かが見ている世界を見せてくれる。
もしも、と僕らは問う。あらゆる情報があらゆるところから集まり、僕らの問いは、答えを見つけ出す。

もしもあの時、彼女の声をちゃんと聞いていたら、僕はまだ彼女のダンスを観れただろう。
僕は、コンピューターの前で問う。
「残念だね」と誰かがメンションをつける。いいね、と誰かがボタンを押す。

問題なんかデザインで解決できない。僕らは思索する。空論で空回りする。中二病になって、夕暮れを窓から見ている。電車の窓から、彼女のことを思い出して。
問題を提起する。
ここではない世界で。デザインは問いかける。

彼女のことを思い出して、11月の新刊のことを考える。
スペキュラティブ・デザイン。
まるで、小説のようなデザインの方法。

スペキュラティヴ・デザイン -未来を思索するためのデザイン(仮)

スペキュラティヴ・デザイン -未来を思索するためのデザイン(仮)